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・・・貿易風・・・ 9

 港に停泊していたウェスタンスター号は、白く塗りなおしたばかりで、輝くように美しかった。 長い列車の旅に疲れ、うんざりしかかっていたセーラは、巨大な白鳥のような客船を前にして、その大きさと迫力に思わず口を開いて見とれてしまった。
「さあこっちですよ。 上れますか?」
 甲板から斜めに下ろされた木製のタラップを、次々と乗客が上っていく。 両脇に一人ずつ船員が立って、よろけそうな人を支えたり、荷物を受け取ったりしていた。
 小さ目の旅行鞄一つしかないセーラは、軽い足取りでギシギシいうタラップを踏んでいった。 すぐ後から重々しい足取りで、メイヤーが上ってきた。 そして、船と同じ真っ白な制服に身を固めた上級船員らしい青年に声をかけた。
「あ、君」
「はい?」
 すぐに彼は手すりのそばから近づいてきて、上等なスーツを着たメイヤーと、その横に並んだセーラに爽やかな笑顔を向けた。
「このお嬢さんとわたしの船室はどこかね? ええと、二十七号室と、二十九号室なんだが」
「こちらです。 ご案内しましょう」
 口を開くたび、健康そうに日焼けした顔に真っ白な歯がひらめいて、はっきりしたコントラストを形作った。 見まいとしても、そのきりっとした顔にセーラは見とれてしまった。 そのぐらい彼はハンサムな青年だった。
 船室は、甲板をぐるっと回った裏側にあった。 ドアも船体と同じに白く塗ってあって、横についた丸い窓が可愛い雰囲気だった。
 ぴったりした白い手袋をはめた手で、上級船員は二つの扉を指した。
「ここと、あそこです。 何かご不便があったらいつでもわたしに言ってください。 二等航海士のトロイ・タウンゼントです」
「ありがとう」
 メイヤーは顎でうなずき、受け取った鍵の一つをセーラに渡した。 すぐに荷物運びの下級船員が来て、その鍵でドアを開け、中へ荷物を入れた。
 入口辺で立ち止まっている船員にチップをやった後、メイヤーはセーラに割り当てられた船室を見回した。
「わたしのもこんなものでしょう。 狭いがベッドはちゃんとしているし、その窓から外も見える。 あなた船酔いしますか?」
 セーラは戸惑った。 船にはこれまで一度も乗ったことがない。 ボートにさえもだ。 そのことを告げると、メイヤーは顔をほころばせた。
「そうですか。 酔わないことを祈りますよ。 まあ気分が悪くなったとしても、最初のうちだけですがね。 乗りつづけていれば、すぐ慣れます」

 出航までにはまだ一時間以上あった。 メイヤーが自分の部屋に行った後、セーラはなんとなくわくわくした気分で自室を点検した。 壁に釘付けされた小さな箪笥。 四角張った椅子。 洗面台と鏡。 それに水差し。
殺風景な部屋の中で、窓の大きさに切り取られた外の景色だけが、上手な風景画のように活き活きと躍っていた。

 まだ午後の四時で、外は燃え上がるような暑さだった。 それでもインドの町並みを目に焼き付けておきたくて、セーラは鍔広の帽子に替えて甲板に出た。
 幸い、強めの風が吹きわたっていて、さっきまでの焦げるような気温は和らいでいた。 見渡すと、庶民の低い屋根の向こうに壮麗な寺院がいくつも突き出て、かげろうに淡く揺れていた。 木の手すりに体を乗り出すようにして、セーラは飽きずにその光景に見とれた。
 やがて東風がひときわ強まり、セーラの帽子をさらって行こうとした。 海に落としたら大変だ。 セーラはあわてて両手で頭を押えた。
 そのとき、背後から声がした。 穏やかでやや聞き取りにくい、教養のある声音だった。
「貿易風ですよ」
 手すりに手を置いたまま、セーラは上半身をねじって振り返った。 後ろには麻の上着と半ズボン、長靴下という、探検家のような服装をした若い男が立っていて、セーラと視線が合うと、軽く微笑を返してきた。


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