表紙
明日を抱いて
 191 新しい刺激




 真夏は社交界でも夏休みの期間だ。 ボストンやフィラデルフィアの金持ちたちは、遠征して定番のアディロンダック山地に行くか、湖水地帯で涼むか、または北欧などに出かける。
 ジェンの滞在期間は短く、おまけにもう一度、帰る前にぜひエイプリルを訪ねたいと決めていたため、ボストンに留まって主に美術館や図書館、歴史的建物などを観光してまわり、その途中でメイトランド氏お勧めのおいしい料理店やアイスクリーム店に立ち寄った。
 三人は、知らない人が見れば文句なく、とても仲良しの家族だった。 ジェンはメイトランドとそっくりだし、エリザベスにも雰囲気がよく似ていた。 ジェンが好奇心一杯で、眼を輝かせていろんなことを尋ねるので、エリザベスは年下の少女に教え、深く話しこむという楽しみを初めて味わった。
印象派の絵画がずらりと並んだボストン美術館で、ジェンは息を詰めるようにしてピサロの絵を見つめていた。 そして振り返ると、大人二人に話しかけた。
「引き込まれる感じ。 画題は地味で、描かれている人たちはうつむいているときが多いけど、見ていると安心するの。 きっと描いた画家の心が落ち着いていたのね。 そして人が好き。 特に働いている人が」
「カミーユ・ピサロか。 きっとそうだったんだろうね」
 メイトランドが優しく答えた。 そして思い出して付け加えた。
「ジョーダンもこの画家の絵が好きだったよ。 たいていの風景画に人の姿がある、この画家は人に共感を持ってると言っていた」
 ジェンの頬が嬉しさにほてった。
「そう、お二人はジョーディともここに来たのね」
「私は来なかったの、残念ながら」
 エリザベスが静かに言った。
「ジョーダンは私がいると遠慮して、本音を言ってくれないのよ。 すごく親切なんだけれど。 彼がうちへ養子に入ると聞いて焼餅を焼いた地元の子が、ある小さなパーティーで私の悪口を言ったんですって。 そうしたら、自分が何と言われても受け流していたあの子が、いきなりパンチを繰り出して相手をノックアウトしてしまったの」
 そして、にやっと笑って付け加えた。
「相手は二人だったそうよ」
「ジョーディならやります」
 ジェンは胸を張って答えた。 彼はサンドクォーターで喧嘩をしたことはなかったが、罠を外したり余計な枝を伐採したりと、材木業者より重労働を簡単にこなしていた。 力が強いのは誰の目にも明らかだった。


 四日も経つと面白いことが起こった。 ジェンの話し方や動作がエリザベスに似てきたのだ。
「あなた少しずつボストン訛りになっているようね」
 そう当人に指摘されて、ジェンは驚き、考えてから認めた。
「影響されてるようです」
 ジェンはエリザベスといるのが楽しくてしょうがなくなっていた。 母のコニーとしゃべることは星の数ほどある。 生活面で、コニーは大変な物知りだ。 だがエリザベスと話すと、ジェンはこれまで知らなかった未知の世界に足を踏み入れ、歴史の裏側や化学反応の不思議、建物の構造など様々な知識に触れることができた。
 しかもエリザベスは、決してそういう知識を上から目線で教えるのではなかった。 ジェンが話すことにちょっと付け加え、そういえばインカの壁は紙一枚も入らないほどきっちりできてるんですってね、というふうに語るのだった。
 そこから話が広がり、ジェンはエリザベスの言葉に聞き入って、自分の意見も入れ、どんどん発展させていった。 その様子をメイトランドは、
「まるで囲炉裏端〔いろりばた〕で大人の話に夢中になってる子供のようだね」
と評した。
 まさに世界が広がる体験だった。 メイトランドもけっこう物知りで、夕食の後に三人で語り合うひとときは活気と刺激に満ちていた。





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