表紙
明日を抱いて
 188 当事者の男




 ジェンがエイプリルに送られて玄関広間に下りていくと、気配で察したのか、奥で知り合いの使用人と話していたらしいクレムがすっと出てきて、後に従った。
 玄関前でエイプリルと抱き合って別れた後、ジェンはクレムを振り返って尋ねた。
「予定を一時間も過ぎてごめんなさい。 もう十二時近いのね。 お昼は食べました?」
「いいえ、まだです」
 クレムは礼儀正しく答えた。 そこでジェンはすばやく思案した。 ボストンへ戻る列車では、一等車の食堂車に運転手の制服では入りにくい。 でもジェンは初めからクレムを友人と思っていて、わざわざ分かれて食べるのは嫌だった。
「この前フィリーに来たときに、おいしい食堂を見つけたんだけど、一緒に行きません?」
 クレムはたじろいだ。
「でもお嬢様……」
「いえ、私は農場の娘よ」
 ジェンは陽気な笑顔になった。
「あなたからお聞きしたい話もいろいろあるし。 ね、一緒に行きましょう。 この時間だから満員じゃないといいんだけど」


 結局、ジェンに引っ張られる形で、クレムは中級の人たちに人気のある下町のレストランへ連れていかれた。 店は混みはじめていたが、幸いまだちらほらと空いている席があり、二人はうまく小さなテーブルに向かい合って座ることができた。
「前のときは仲間と一緒で、あの大きなテーブルを二つ使ったのよ。 楽しかったけれど、エイプリルの気持ちを思うと、素直にはしゃげなかった」
 クレムはいい具合に焼けたチキンを切り分けながら、率直にうなずいた。 ワンダから事情を聞いているらしく、エイプリルの結婚がほぼ強制だったのを知っているようだった。
「残念ですが、上流社会にはありがちなことで」
「彼女はこちらでも目立っていますか?」
「それはもう。 あれだけ美しい方はまれですから」
 そこでジェンは、大胆かなと思いながらも思い切って訊いてみた。
「賭博場のディーラーって、何をする人?」
 クレムの形のいい口元が苦笑にゆがんだ。
「お嬢様がご存知ないのはもっともですね。 カードを配ったり、さいころを転がしたり、掛け金を集めたりする人間です。 インチキをすることがあるので、まともな仕事とは思われていませんが、ダグラス・エイムズの評判は良いようです」
「その人を見たことは?」
「ありますよ。 今やちょっとした有名人で、街を歩くと指を差されますから。 でも面と向かって何か言う勇気がある野次馬は、ちょっといませんね。 大柄なんです。 六フィート四インチ(≒一九○センチ)はあるんじゃないかな」
 ジェンは考えた。
「ちょっと怖そうね」
「ええ。 それに立派な顔立ちでね、ヒゲがよく似合う。 年は公表していませんが、たぶん三十代でしょう」
「で、エイムズさんはこのいいかげんな噂について、どう言っていますか?」
「なんでも最初の取材に、ハンカチを拾ったぐらいで恋には落ちません、と答えただけで、後はまったく無視を通しているとか」
「ばかばかしいんでしょうね」
「そうかもしれません。 取材させてくれれば大金を出すと言われても、目もくれないようで」
「男らしいわ」
 不意にその言葉が口から飛び出た。 クレムの話から考えると、ダグラス・エイムズという男性はエイプリルの父親のトマス・ロイデンとは正反対のタイプのようだ。 トマス・ロイデンも若い頃は背が高くハンサムだったらしいが、ぜいたくがたたって最近では小山のように腹がせり出し、性格が顔に表れて意地悪げな表情になっていた。 そして口数が多く、その大部分が苦情と身勝手なわがままだった。
「エイプリルにそういうお父さんがいればよかったのに」
「お父さんですか!」
 クレムは笑い出した。 若い男の健康な食欲で、前の皿がすべて空になっているのに気づいて、ジェンはつい、まだ手をつけていないコーンプディングを勧めてしまった。
「よかったらこちらもどうぞ」
 クレムはためらわずに皿を受け取った。
「じゃ遠慮なく」
 そして、ちょっと仲間意識の入った感じで、鼻に小さな皺を寄せて微笑んだ。    





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