表紙
明日を抱いて
 185 怖い濡れ衣




 エイプリルは躍る足取りで、ジェンを女性用応接間に案内した。 上流階級の夫人たちが寝室の横か近くに持っている優雅な部屋で、個人的な友達をもてなす場だ。
 中にジェンを引き入れて扉を閉ざすと、エイプリルはもう一度親友を抱きしめ、それから猫足の少しクラシックな椅子に座らせた。
「来てくれて嬉しいわ。 ほんとにどんなに嬉しいか、言葉にできないぐらい」
「父の招待でこっちへ来たとたん、ばからしいスキャンダルの話を聞いたの。 来る途中で新聞も買って読んだわ。 あんな話を信じる人間がいるなんて、そっちのほうが信じられない」
 ジェンは前置きなしに、ずばりと本題に入った。 薄汚い浮気話などかけらも信じていないことを、エイプリルにわかってもらいたかった。
 エイプリルは小さく吐息をもらし、円卓に乗っていたきゃしゃな紅茶ポットからマイセンのカップにお茶をついだ。
「ちょうど運んでもらったところなの。 少し冷めてるけど」
「かまわないわ、ありがとう」
 二人は身を寄せ合って紅茶を飲み、プチケーキを口にした。 空気が少し落ち着くと、エイプリルは慎重に話し始めた。
「信じてくれてうれしい。 新聞の記事はウソばかりなの。 カシノは町の反対側にあって、その区域には足を踏み入れたこともない」
「わかるわ。 ああいう盛り場には、普通の家庭の女性は行かないもの」
 ジェンはすばやく考えた。
「こんな暑い時期には、社交界の人たちはふつう避暑に行ってしまうわね。 話題がなくなって売れなくなるから、マスコミが無理に作ったんじゃない?」
「それもあるでしょうね」
 エイプリルの声には元気がなかった。 ジェンは話を聞いた最初から不思議だったことを訊いてみた。
「なぜ彼らは無理やり、そのダグラス・エイムズという男の人をあなたと結びつけようとするの? プレイボーイで有名なの?」
「いいえ」
 エイプリルは顔をあげ、きっぱり否定した。 目が強い怒りに光っていた。
「そういうことじゃないの。 春に独立記念公園を友達と散歩していたら、その人も公園を歩いていたの。 風の強い日で、私のハンカチが吹き飛んでたまたまその人の近くに落ちたんで、拾ってくれたのよ」
 ジェンはきょとんとした。
「それだけ?」
「ええ、それだけ。 一緒にいたキャロルも、そう夫に言ってくれたわ」
「でも、暇な記者がどこかで見てたのね。 そして、そんなちょっとした出会いをおおごとにした」
「でしょうね。 人の迷惑を何とも思わないんだから」
 珍しく、エイプリルの声が尖った。
 ジェンは、ここへ来る列車の中で読んで、腹立ちまぎれにくずかごへ放り込んできた芸能新聞を思い起こした。 そこには、わざと高慢な表情に写ったのを選んだエイプリルの写真と、シルクハットを深く被った男の全身写真が並んでいた。 ひげを生やした男の顔は普通の紳士という感じだったが、スタイルはとてもよかった。 足が長く、夜の準正装であると同時にカシノディーラーの制服でもあるタキシードがよく似合っていた。
「新聞で写真を見たわ。 かっこいい人だから目立ったのね、きっと」
 エイプリルは紅茶を飲み干し、カチンと音を立ててテーブルに置いた。
「記事のせいでそのカシノは野次馬が押しかけて、流行っているんですって」
「そんな……」
 ジェンはいっそう腹が立ってきた。
「ねえエイプリル、私が中学のときに、パイク先生にひどいことを言われたの覚えてる?」
「ええ」
「あのときはクラスの皆が助けてくれた。 今度も何か方法があるはずよ。 だって私のときと同じで、火のないところに煙を立てているんだもの」
 エイプリルの膝に手を置いて、ジェンは懸命に顔を覗きこんだ。
「これは普通じゃない気がするの。 噂が長すぎる。 誰かがあおっているんじゃない? ね、エイプリル、心当たりはない? どんな小さなことでもいいから思い出して。 あなたをねたんでいる人とか、首になった使用人の逆恨みとか」
 そう言われて、エイプリルは少し考えていた。 それから、気が進まない様子でぽつりと言った。
「ひとりだけ、もしかしたらという人はいるんだけど」





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