表紙
明日を抱いて
 177 伝わる想い




 その瞬間、ジェンは生まれて初めての状態になった。 自分がわからないほど取り乱したのだ。 夢中でアルフの腕を掴み、揺さぶりながら同じことを何度も何度も問いかけた。
「ジョーディはどこ? 見える? ねえ、見つけて! 彼はどこ?」
 掴まれたのが他の男なら、たとえ機転の利くエディでもパニックになりそうな勢いだった。 しかし舞台に出てオルガンを弾いて一度もあがったことのないアルフは、すぐ額に手をかざして広い甲板を見渡し、遠視の能力を最大限に発揮して、端のデッキにもたれている寂しげな姿を発見した。
「あそこ、ほら白と赤のガーランドの下」
 たちまちジェンはアルフの手を掴んで走り出した。 人ごみを掻き分け、スカートの裾が汚れるのもかまわず水溜りを蹴立てて駆け抜けて、船尾に向かった。
 きしみ音を立てて、巨大な錨〔いかり〕が巻き上げられていく。 その間に船尾へたどりつくと、ジェンは思い切り両腕を高く上げて振り、ジョーディの注意を引こうとした。 だが、うつむいているジョーディはまったく気づかなかった。
 それでジェンは、コートの下に巻いていた白いマフラーを引き抜いて外すと、端を持って思い切り振り回した。 その横で、アルフは両手を口にあて、一世一代の大声を張り上げて叫んだ。
「ジョーディ! ジョー〜〜ディ〜〜!」


 どちらが目立ったのかわからない。 たぶんヘビのようにうねる白いマフラーが視界に入ったのだろう。 ジョーディが下に顔を向け、二人に気づいてデッキに身を乗り出した。
 そこでジェンもアルフのまねをして手でラッパを作り、必死で叫んだ。
「愛してるわ、ジョーディ!」
 ジョーディはいっそう上半身を前に傾け、耳に手を当てて聞き取ろうとした。 だが風が一段と強まって、ジェンの可憐な声は周りの人の微笑みを誘っただけに終わった。
 船は少しずつ岸を離れ始めた。 ジェンはやっきになった。 そのとき、アルフが軽々と彼女を持ち上げて右の肩に乗せ、マフラーを掴んで言った。
「これで字を作るといい。 海軍の手旗信号みたいに」
「え? ああ!」
 ジェンはアルフの言葉の意味をすぐ飲み込んだ。 そして彼に一部手伝ってもらって、まず大きな裏返しのLを作った。 それから端と端をつなげてOを。
 そこまでで、もうジョーディにはジェンが何を伝えたいかわかった。 そして二人がVを形作ったとたん、胸ポケットから手帳を出してあわただしくメモし、その紙を破って自分のマフラーで包んだ。 それを一結びしてボールの形に整えると、強く唇を押し当ててから、二人めがけて投げ落とした。
 Eを作ってかかげていたアルフが、長い腕を伸ばしてマフラーのボールをうまく受け止めた。 ぐらりとなったジェンは、抱きついたときにアルフの帽子をくしゃくしゃにしてしまったが、すべり落ちる前に自由な左手をなんとか振って、ジョーディにしばしの別れを告げることができた。
 船は次第に速度を速め、港の出口へとタグボートと共に去っていった。 ちぎれるほど腕を振り続けるジョーディが見えなくなるまで、ジェンとアルフは手を振り返しながら、並んで立ち尽くして見送った。 
 それから二人は眼を合わせ、自然に抱き合った。 ジェンの肩をなでながら、アルフは感激した声で呟いた。
「こんなに感動したのは初めてだよ。 バッハのパッサカリアをうまく弾けたときよりわくわくした」
「ありがとう、アルフ」
 彼の骨ばった体に手を回して、ジェンは固く抱きしめた。
「あなたがいてくれたから、私たち幸せになれたわ」
「ふむ、いいねえ」
 アルフはご満悦だった。 そしてジョーディのマフラーをジェンに渡し、肩を抱いたまま、だいぶ人が少なくなった港を後にした。






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