表紙
明日を抱いて
 176 告白と夢と




 あまりの失望に、ジェンはその場にへたりこみそうになった。 ジョーディがロンドンでどこに下宿するのか、その住所さえ聞いていない。 これでは彼から手紙が来ないかぎり、自分から出すことさえできないではないか。
「どうしたらいいの、ねえアルフ?」
 思わず本音が口から漏れた。 周りは見送りの人々で押し合いへし合いになっている。 船上と交わす別れの挨拶で、耳が痛くなるほど騒がしかった。
 よろけないようしっかりとジェンを抱きとめてから、アルフは答えを返した。
「すぐ手紙を読んでごらん。 まずそれからだ」


 ジェンは、端が折れて丸まった封筒に目を落とした。 開くのが恐ろしかった。 ジョーディが口で言えなかったこと、それは別れの言葉としか思えなかったのだ。
 だが最後の最後になって、持ち前の強さがよみがえってきた。 これまで私が逃げたことがあっただろうか。 家族として愛してくれるゴードン家から去ったとき、母が新しい家族を産んだとき、いつも私は精一杯力を出して素敵な未来を目指してがんばった。 恋は相手があって初めてできるもの。 片思いは誰のせいでもない。 今は打ちひしがれても、また立ち直れる。 きっと実の父がそうしたように。
 決心が変わらないうちに、ジェンは手紙の封を勢いよく破り、中身を引き出した。 眼がちかちかしたが、ジョーディ独特の力強い筆跡は何とか読み取れた。


『世界中の誰より大好きなジェン』


 書き出しで、ジェンは目がくらんだ。
 気がつくと、横でさりげなく港を見回していたアルフに、手紙の一枚目を高々と突き出していた。
「ねえ、アルフ」
「なに?」
「一行目に、なんて書いてある?」
 やや遠視ぎみのアルフは、手紙を持って遠ざけ、目を細めて読んだ。
「世界中の誰より大好きなジェン」
 ほんとなんだ。 ほんとにそう書いてあるんだ……!
 ジェンはぴょんと飛んで、アルフの手から手紙を取り、むさぼるように読んだ。


『僕は君とロンドンに駆け落ちするつもりだった。 でも今、君がこの手紙を読んでいるということは、やっぱり実行できなかったんだね。
 どこから話せば、君にわかってもらえるだろう。 ともかく、一番の原因は、メイトランドさんにとって君が宝物で、絶対に幸せになってほしかったことなんだ。
 彼は僕を調べ、身元を確かめてゲインズフォード中学へ送り込んだ。 でも彼の望みは、君と友達になってほしいだけだった。 君に好きな相手ができたら、どんな人間か男の目で冷静に見て、報告してほしいと言われた。


 養子になる話も、最初から出ていたわけじゃない。 養い親がいるというのは、転校の口実だ。 ただ、しょっちゅう電話で話して、休暇を一緒に過ごしているうちに、彼と奥さんにだんだん気に入られて、君のこととは別に家を継いでくれと言われた。
 すごく悩んだ。 もともと君の場所なのに、僕が横取りする形になるんだ。 だから、行方不明の親父を口実にして、生きて戻ってくるかもしれないからと、ずっと保留にしてもらっていた。 本当は、死んでいるのを知っていたんだが。
 親父は金鉱掘りのごたごたに巻き込まれて、流れ弾に当たったそうだ。 一緒にいて父を埋めてくれた男の人が、下宿に手紙で知らせたのを、溜まっていた下宿代を僕が送ったときに、おかみさんが返事に同封してくれた。


 僕は黙って君を見ていた。 それが任務だ。 自分から誘っちゃいけないと、メイトランドさんに言われていたから、ただ見て、話すだけだった。 つらかったよ。 君がエディやジェリーと楽しそうにしていると、飛んでいって引き離したかった。 特にエディは。
 あいつが君を好きになりかけてたのを知ってたかい? 君と僕が婚約したと聞いてホッとしたなんて言ってたよ。 うっかり口説いてしまいそうで怖かったんだって。 僕に殴られたら顔が変形しそうだから。


 僕だって、メイトランドさんが怖かった。 彼は本物の権力者だ。 だが、君が選ぶ相手を受け入れろと言われても、気持ちには限界がある。 そして君は、いつまでたっても一人を選ばない。 皆と仲良くするだけで、決まった相手を作ろうとしない。
 だから、とうとうたまらずに名乗り出た。 強引に婚約した。 他の男に取られたくなかった。
 メイトランドさんに、申し込んだら受けてくれたと報告したら、叱られたよ。 誰よりも愛していると言われたかと。 君が僕を選んだ証拠はあるのかと。 その言葉がないなら、結婚は許さない。 そう宣告された。


 ジェン、ジェン! 君を愛してる。 誰よりも愛している。 でも君が僕の情熱の半分でも愛してくれている自信はない。 いつも穏やかで、人の幸せに気を遣っている天使のような君は、僕に迫られたら嫌とは言わないだろう。 わかってるんだ。
 だから汽船の乗船券を二枚買った。 知らない国に連れて行って、僕しか頼るもののないところで一緒に暮らせたら、そう思った。
 勝手だよね。 君にはメイトランドさんだけでなく、ミシガンの大事な家族がいるのに。 たくさんの友達も将来の大学も、みんな捨てることになるんだ。 そこまで君に犠牲を払わせて、僕だけが幸せになろうなんて。
 それでも僕は夢を捨てきれない。 自分のためだけじゃなく君のために、自分の腕で未来を切り開きたい。 メイトランドさんの養子話は断るつもりだ。
 こんな条件の悪い僕だが、他のヤツより少しは僕のほうが好きだと思えたら、パディントンの郵便局留めで返事をくれないか? 二年で必ず帰る。 それまでもし君が待っててくれたら、僕はどんなに嬉しいか。


君一人のジョーディ』



 読み終わって数秒間、ジェンはぼうっとしていた。 そのとき、大きく霧笛が鳴り響いて、ぎょっとなって顔を上げた。 腹に響くその音は、客船が出航する合図だった。  





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