表紙
明日を抱いて
 158 贅沢な悩み




 秘密の冒険でもするような気持ちで、ジェンは息を殺してジョーディについていった。
 彼がジェンを連れて行ったのは、表門から五○ヤードほど離れた家畜用の裏門だった。 板を打ち付けて作った無骨な門を開くと、まだ雪が消え残った道の外れに一台の屋根つき馬車が止まっているのが見えた。
「行ってごらん」
 穏やかな声と共に背中を押された。 ジェンは首をかしげながら歩き出し、馬車に近づいた。
 すぐ傍まで来ると、馬車の扉が開き、中から顔が覗いた。 ジェンは仰天して咳き込んでしまった。
「あ……ゴホンゴホン、お……お父様!」
 カシミアのコートに身を包んだビル・メイトランドは、急いで腕を出してジェンを馬車に助け乗せた。 そして短い間、ぎゅっと抱きしめてから名残惜しそうに離した。
「どうしても会って言いたかったんだ。 十七歳の誕生日と、婚約おめでとう!」
 ジェンは幸せに酔ったような気分になった。 これで愛する人たち全員の祝福がそろった。 最初の『親』でコニーの姉のヒルダも、わざわざ手作りの五本指手袋を送ってきてくれたし、実の父がまだ肌寒い中、ミシガンまで訪ねてきてくれた!
「最高に嬉しいわ! でもこんな遠くまで来てしまって、大丈夫?」
 気遣う娘のバラ色の頬を、メイトランドは指先でチョンと突ついて微笑んだ。
「大丈夫だよ。 これでも社長だからね、たまには休みたいときにちゃんと休める」
「うちに来てくださらない? お父様と文通していることはみんな話してあるの」
 微笑をたやさずに、メイトランドは静かに首を振った。
「いや、今はよしておこう。 後何十年か経って、お互い白髪交じりになったら、昔の思い出として話し合えるかもしれない。 でもまだ無理だ」
「そう……」
 ジェンはがっかりしたが、父の言う通りだと納得した。 それに東部に残っているだろうメイトランド夫人も、夫が自分のいないところで昔の婚約者に会ったら、いい気持ちはしないだろう。
 メイトランドは向かいの座席に乗った大きな箱を取って、ジェンに渡した。
「プレゼントだ。 君の未来の幸福を祈って」
「ありがとう!」
 ジェンが箱を開くと、中には清楚なヴェネシアンレースが一巻き入っていた。 王女の結婚衣装に使えるほどの、最上級のレースだ。 ジェンは感激のあまり、胸が痛くなった。
「これを、私に?」
「そうだよ。 ドレスに仕立てたら末代まで使えるそうだ」
「ジョーディが見たら何て言うかしら」
 そう呟いた後、ジェンは改めて気づいた。
「彼がここへ案内してくれたの。 じゃお父様はジョーディに会ったのね?」
「会った」
 メイトランドは、ややくぐもった声で応じた。 ジェンは目を輝かせて父に向き直った。
「彼をどう思った?」
「頼もしそうな青年だね」
「ええ、とても。 でも私、少し心配なの」
 メイトランドはすばやく顔を上げた。
「何が?」
 真っ白なレースが汚れないように、箱の蓋を注意深く閉じながら、ジェンは密かな悩みを打ち明けた。
「彼は養子だって手紙で知らせたでしょう? でも養い親のことを話してくれないの。 そのご両親は、彼がこっちで婚約したことを喜んでいるかしら。 二人とも賛成してくれたとジョーディは言うけれど、それならせめて手紙の一本でも私に書いてくれると思うの」
 父は少しの間黙っていた。 それから、ゆっくりと言った。
「むしろ、反対していたら手紙が来るんじゃないか? それに彼を呼びつけて、もう会わせないようにするだろう。 のんびりと婚約発表なんかさせておかないはずだよ」
 世間を知っている父の言葉に、ジェンはいくらか気が休まった。
「そう言われれば、そうね」
「そうだ。 それに彼は養家を継ぐわけじゃないんだろう? 確か建築家志望じゃなかったかい? その勉強も許してもらってるんだから、一人前になったらいくらでも好きな人と結婚できる。 そうじゃないか?」
「ええ」
 ようやく胸のつかえが取れた。 ジェンは父に感謝をこめて、軽く寄りかかった。
「ずいぶん悩んだけれど、私やっぱり東部の大学へ行くことにする」
 この決意に、メイトランドは飛び上がるほど喜んだ。
「そうか! すばらしい!」
「向こうならお父様と楽に会えるわね。 それにジョーディとも」
「その通り。 好きな人とは近くにいたほうがいいよ」
「ええ。 遠距離恋愛は難しいって、みんなに言われるの」
 その代わり、大好きなミシガンとマクレディ家には、休暇の間しか戻れなくなる。 一つの願いが叶うと、別の願いが遠くなる。 故郷を離れるのは、考えただけで寂しかった。





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