表紙
明日を抱いて
 139 苦い思い出




 大喜びのジェンは、鼻歌を歌いながら二人のおむつを換えてやり、すっきりしてはしゃぐ弟たちと少し遊んだ。 その間、ウォーリーは一度口にした響きが気に入ったようで、ジェン、ジェンと姉の名前を連発した。
「お姉ちゃんうれしいわ。 あなたが私の名前を覚えてくれて。 じゃ、父さん、母さんって言える? 言ってみて。 さあ、父さん、母さんって」
「赤ちゃん」
 今度はアンディが見事な発音でしゃべった。 ジェンは思わず噴き出してしまった。
「上手に言えたわ。 でもそれはあなたたちのことよ。 聞きなれてるのね。 みんなが言うものね、かわいい赤ちゃんって」
 茶髪のアンディには、すでに母の面影が表れていた。 大人になったら輝くような美男子になるかもしれない。 一方黒髪のウォーリーは、誰に似たのかわからないが、こちらもミッチよりずっと顔立ちが整っていた。
 小さな物音がしたので、ジェンはゆりかごから振り向いた。 すると母のコニーがまだ青ざめた顔をして、戸口に寄りかかるようにして立っていた。
 娘と目が合うと、コニーは震えるような息をつき、ゆっくりと部屋に入ってきて、ジェンの斜め向かいの椅子に腰を下ろした。
「おむつだった?」
「ええ、換えておいたわ。 そしたらご機嫌さんになった」
「ありがとう」
 そう囁くコニーに男の子たちが腕を伸ばす。 コニーはまず近くにいたアンディを抱き取って、乳をふくませた。
 すると、残されたウォーリーは小さなお尻を弾ませながら向きを変え、姉に向かって訴えた。
「ジェン!」
 コニーは目を見張った。 その瞬間、明るさがいくらか戻ってきた。
「ねえ、聞いた? この子、ジェンを呼んだわ!」
「そうなの」
 誇らしい気持ちを隠そうとしながら、ジェンは笑いを含んだ声で囁き返した。
「さっきも呼んでくれたのよ。 すごくちゃんと発音してるわね」
「みんなジェンを愛してるから、名前をすぐ覚えるし、呼びたくなるんだわね」
 そう言ったとたん、コニーは再び喉を詰まらせた。
「あの人から聞いたでしょう? 私は勝手に婚約を破って、逃げ出したの。 そのときはまだ、あなたがお腹にいるのを知らなかった。 気づいていたら、もっとぎりぎりまで努力したわ。 彼にも……ビルにも相談したと思う。 本当にあの人とジェンには……申し訳なくて……」
 ジェンはうなぎのように体をくねらせて抱っこをせがむウォーリーを抱き取り、腕で囲い込んでいた。 ウォーリーはつぶらな瞳をジェンのお下げに集中させ、先っぽを掴んで盛んに振り回した。
「私、お母さんを責めたりしてない」
 ジェンの口から、しみじみとした本音が漏れた。
「ビル・メイトランドさんは、太陽みたいな人だった。 あれだけ輝いてると、本人は気づかなくても周りは思うわ。 あの人の傍にいると目立ちすぎるって」
「彼は私に詫びたの」
 コニーはお腹一杯になって目がとろんとしはじめたアンディをゆりかごに戻し、ジェンからウォーリーを受け取った。
「そんなことする必要は、全然なかったのに。 最初に会ったとき、ビルは私を助けてくれたのよ。 急に庭へ飛び込んできた若い男の人から。 でも私はどちらからも逃げた。 情けないのは自分でもわかっていたんだけど、前にもそういうことがあってね」
 ジェンはぎょっとして顔を上げた。 不意に怒りがこみ上げ、かっとなって頭に血が上った。
「お母さん! 誰かがお母さんを襲ったの?」






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