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明日を抱いて
 137 善は急げと




 駅の外に出ると、馬車につながれておとなしく待っていた馬のネロでさえ、ジェンを見て嬉しそうにいなないた。 ジェンはネロの鼻筋をなでてやり、彼のために忘れずに持ってきたりんごを紙袋から出して、くわえさせた。 六切れのりんごは、あっという間にネロの胃袋へ直行した。
「真っ先に土産をもらってよかったな」
 ミッチが明るく声を掛け、ジェンに手を伸ばして座席に引っ張り上げてから、まだねだっているネロを発進させた。もう空は真っ暗で、星が雲のように広がってまたたきはじめていた。
 シカゴの公園で泳いだことや、ワンダと寝る時間も惜しんで語り明かしたことを話した後、ジェンは覚悟を決めて口を開いた。
「おとうさん、相談したいことがあるの」
 真剣な口調に、それまでゆるんでいたミッチの表情が引き締まった。
「なんだい?」
 日が落ちてから空気は爽やかになってきていたが、ジェンは首筋に汗がにじんできて落ち着かなかった。
「私ね、昨日、実のお父さんに逢ったの」
 ミッチの手から手綱が外れそうになった。 口の中で低く罵りながら、ミッチはもつれた手綱をほどいて握りなおした。
「つまり、ビル・メイトランドにか?」
「ええ」
「そうか……」
 ミッチが考え込んでしまい、操作を忘れたので、ネロはちらっと振り向いてから、自分の判断でさっさと三叉路のゆるやかなカーブを曲がった。
 ミッチが再び口を開くまで、ジェンはじっと待った。 ネロはたくましい肩を揺らして、しゃきしゃきと馬車をリードしていく。 その背中をしばらく眺めていると、ようやくミッチの声が聞こえた。
「向こうには子供ができなかったからな。 おまえを欲しがるんじゃないかと、ずっと不安だった」
 ジェンは小さくうなずいた。 今では実の父の気持ちが理解できる気がしていた。
「逢ってみたら、いい人だったわ。 私にはそう思えた」
「そうだよな、牛にたとえたら品評会で特別賞取って、花輪を被せられるタイプのお人だ」
 ミッチの呟きは苦かった。 そしていきなりジェンに向き直ると、一足飛びに尋ねた。
「なんであの人についていかなかったんだ?」
 ジェンは唐突な問いに驚かなかった。 ミッチの性格が、今では自分のと変わらないぐらい理解できていたから。
「そんなこと考えもしなかったわ。 私のふるさとはここで、ミッチ・マクレディの正式な娘として、ここからお嫁に行くんだもの」
 ミッチは小さく口を開けた。 義理の娘に神経を集中したため、また角を曲がるのを忘れ、ネロがじれったそうに振り向いた後、いばってまた自分で道を選んだ。
 短く息を吐くと、ミッチは言った。
「やっぱり誘われたんだな。 メイトランドさんはおまえを引き取りたいんだ」
「そうみたい」
 ジェンはてらわずに答えた。
「私に顔がそっくりだったの。 鏡を見てるようで、不思議な感じだった」
 そして、考えながら微笑した。
「二人で歩いたら目立ちすぎるわ。 奥さんに嫌な思いをさせたくないし。 でも手紙は書くつもり。 向こうも書いてくれるって。 どう思う、おとうさん?」
 ミッチはようやく前を向き、馬車がサンドクオーターの村道に入っているのを知ってのけぞった。
「おい、いつの間に」
 そして、ネロが貴族の馬車馬のように首を誇らしげにそらして歩を運んでいる姿に、笑い出した。
「わかったよ、ネロ。 おまえは大したやつだ。 そう言ってほしいんだろ?」
 それから、前を見たまま横に腕を伸ばして、ジェンの肩に触れた。
「手紙ならいくらでも書きなさい。 メイトランドさんが満足して、ジェンを取りに来ないぐらいたくさんな。 なんなら結婚式に招待してもいい。 そんなに似てるんなら大騒ぎになるだろうが」
 ジェンは心からほっとして、ミッチの肩に寄りかかった。 目を閉じたら、このまま寝てしまいそうだった。





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