表紙
明日を抱いて
 117 渡すものか




 夕飯のとき、ワンダはなごやかな話が途切れた間合いを見計らって、ジェンのシカゴ行きをミッチたちに頼んだ。
「私が二度もお世話になってるんですもの、ジェンにお返しをしたいわ」
 ジェンは当惑した。 実をいうと、あまり嬉しくなかった。 この時期に旅は暑くて疲れるし、今は静かな田舎に住んでいるとはいえ、ちょっと前まで慌しい東部の大都市で暮らしていて、もうビルは見飽きている。
 そんなジェンの気持ちを見越したように、ワンダは別方向に話を向けた。
「子供服を買う人が増えてきて、デパートの売り場にかわいいドレスやロンパースがたくさん並んでるんですよ。 新しい形のセーラー服も。 そうだ! あれをお礼にプレゼントさせてください。 赤ちゃんたちがお揃いで着たら、きっとすごくかわいいわ!」
 この殺し文句で、ジェンも少し乗り気になった。 買うのなら一着でいいかもしれない。 どういう仕立てかコニーが確認すれば、すぐそっくりな服が作れるはずだ。
 ワンダは目を輝かせて、どんどん計画を立てていった。
「一日目にみんなで遊んで、二日目に買い物をして、夕方に戻ってくる──それなら一日半で帰れます。 そんなに長く不自由はおかけしませんから」
 コニーはにこにこして聞いていた。 もう気持ちは決まっているようだった。


 女の子たちが二階へ行き、赤ん坊もお腹一杯になって満足して寝付いた後、ミッチは着替えながら、髪をお下げに編んでいる妻を振り返った。
「なあ、ワンダはずいぶん母親に似てきたな」
「そう?」
 つややかな黒い髪をきちんと結んだ後、コニーはベッドに入って、先に横たわっていたミッチの脇に居心地よく収まった。
「ああ、人をうまく言いくるめる話し方なんか、そっくりじゃないか」
 コニーは目をつぶって苦笑した。
「言いくるめるなんて」
「だが、そんな感じだったよ」
 人付き合いに苦労したミッチの勘は、鋭かった。
「あの子は気立てのいい子だ。 だが完全に信じるのは危ないぞ。 あの一家は明らかに、ジェンを取り戻したがっている。 もしかすると、ここで苦労していると思って、同情してるのかもしれない」
「ジェンは去年よりまた背が伸びて、綺麗になったわ。 苦労なんかさせてないのは、見ればわかるはずよ」
 ややぎこちない口調で、コニーは言い返した。 もっと強く主張するつもりだったが、心がとがめていたので、うまくいかなかった。
 ミッチは頭の下で組んでいた腕をほどき、寝返りを打って妻を抱きしめた。
「確かに俺たちの娘は美人になった」
 俺たち、という言葉を、ミッチははっきりと強く発音した。
「実の父親に、よく似てきたな。 役者のように目立つ男だったが、今はどうなってるかな」
「さあ」
 コニーはミッチの胸に顔を伏せ、くぐもった声で答えた。
「考えたくないわ。 立派な家のお嬢さんと結婚したんでしょう?」
「そうだ」
 ミッチは重々しく言った。
「エリザベス・グレアムといって、グレアム財閥本家の三女だそうだ。 何度も話してるのに、ちっとも覚えないね」
 コニーはもう、うとうとしかけていた。 彼女も昼間、ずいぶん働いたのだ。
「婚約が新聞に出てるってあなたが言ったとき、どんなにほっとしたか。 これでもう……」
 後は小さな寝息になった。 ミッチは枕もとの灯りを消し、しばらく暗い天井を眺めていたが、やがて足元の毛布を手繰り寄せて、ぐっすり寝入る妻の体にそっと載せた。





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