表紙
明日を抱いて
 110 去り行く者




 ジェンは珍しく、本気で人に腹を立てた。 相手は友達のようでいて、肝心なところでサッと身をかわして他人行儀になるジョーディだった。
 だから少しずつ氷が解けてトレメイン川が楽しそうに流れ出した三月末のイースター休みには、女子の友達とばかり遊んで、美しくなってきた川べりには近づかなかった。
 といっても、無駄な抵抗だったかもしれない。 男子の一部は連れ立って、シカゴで行われた自動車レースに出かけていったというし、ジョーディに似た姿が東部行きの汽車のホームに立っていたという情報も耳にした。 彼が短い休みの間、姿を消していたのは確かなようだった。
 情報といえば、エイプリルが恋をしているという噂が少しずつ流れはじめていた。 相手の正体を知っているのは、まだジェンだけだが、他の少女たちも団結して、エイプリルを守ろうとしはじめた。 出かけるときはいつも誰かが一緒で、にぎやかに振舞って人目を引く。 できるだけ大人数で群れて歩き、たまにエイプリルがそっといなくなっても、目立たないようにした。
 その中には、帰郷したポリーもいた。 インディアナポリスで働き出したポリーは、見違えるように垢抜けて、町で開かれたパーティーの様子や、同僚と出かけたミンストレルショーの話などをぺちゃくちゃとしゃべっていた。 周りは珍しい話に耳を傾けていたが、浮ついたことの嫌いなキャスは二日続けておしゃべりに付き合わされてうんざりしたらしく、おなじみのカートの店でクリームソーダを食べていたとき、不意に水を差した。
「ねえポリー、あなた太ったんじゃない?」
 むっとして、ポリーは胸を張った。
「ちがうわよ。 女らしくなったの。 なんたってコルセット使ってるんだから」
 少女たちはざわめいた。 そういえば、ポリーは胸が豊かになったように見えるものの、ウェストはキュッとくびれていた。
「あの……まだ早いんじゃない?」
 珍しく一緒に食べていたサリーが、やや遠慮がちに言うと、マージも大きくうなずいた。
「コルセットは育ち盛りにはよくないのよ。 内臓が縮まるし、骨が曲がるって」
「町じゃみんな着てるわ」
 ポリーはこともなげに言い放った。
「一人だけ子供あつかいされるなんて、かっこ悪いもの」


 そんなおませなポリーでも、初恋の思い出はまだ心に残っているらしかった。 イースターらししく小間物屋へ春向けのリボンを買いに行こうと話がまとまり、六人でぞろぞろと歩き出したとき、ポリーはジェンの腕を取ってわざと少し遅れ、みんなと離れてからこっそり尋ねた。
「あのね、アンバー兄弟はどうしてる?」
 ジェンは内心ぎくっとなった。 長男のディックとエイプリルの仲を知ってしまったのなら、どうしよう。 すぐ口止めしなくては。 でもポリーは悪気なしだが口が軽い。 大変だ、と気をもんでいると、ポリーは返事を待たずに続けた。
「アールを見た? きっと変わっちゃってるでしょうね」
 ほっと肩の力が抜けた。 だが同時に、ポリーがかわいそうになった。
「バロンはデトロイトの新聞社で働いてるわ。 だけどアールは……自動車工場にいたんだけど、喧嘩して出ていっちゃったの。 今どこにいるか、わからない」
「そう」
 寂しそうに言った後、ポリーは気を取り直して、花飾りのついた帽子を被りなおすと、明るい口調になった。
「帰ってくるわよ。 バロンがデトロイトにいるなら。 あの二人、いつも一緒だったもの」
 アールとバロンは一卵性双生児だ。 肩を組んで歩いているのを、ジェンも何度か見かけたことがある。 二人に特別な絆があるなら、いつかアールは本当に戻ってくるかもしれない。
「そうね。 そうなるといいわね」
 ジェンが微笑みかけると、ポリーも微笑み返して、ジェンの手を握った。
「こんなこと訊けるの、ジェンだけよ。 あなたはからかったり笑ったりしないもの。 ねえ、寂しくなったらインディアナポリスから手紙書いていい?」
「もちろん」
 ジェンは、許可を求められたことに驚いて答えた。
「いくらでも書いて。 すぐ返事を出すわ。 母やワンダからよく手紙が来るから、レターセットを一杯持ってるの。 楽しみだわ」
 ジェンが母と言ったのは、もちろん育ての親で伯母のヒルダのことだった。





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