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109 あと一歩で
トローブリッジ高校入学が決まってから、ジョーディはサンドクォーターから高校への道筋にあるデントンの町に、部屋を借りて住んでいた。 中流階級の独身男性が借りる、きちんとした下宿屋で、家賃も高そうだった。
すっかり大人びた彼は、仲間たちに『ジョーディおじさん』と冗談で呼ばれていた。 確かにもう十六、七歳の顔立ちではないのがはっきりしつつあった。 たぶん二十歳に近いだろう。 あいかわらず自然が好きで、トレメイン川一帯の見回りを続け、高校では森や川のスケッチがあまりにもうまいので、美術の先生にシカゴ美術大学を志望しないかと勧められていた。
しかし、ジョーディにその気はなかった。
「絵を描くのは、好きというより、よく知りたいからだ。 じっくり正確に描いていると、地形や草木の生え方なんかが詳しくわかる。 絵の技術を学ぶために高い金を出して私立の学校へ行くなんて、僕にはぜいたくだ」
気温が上がって、一ヶ月ぶりにジェンが川へ会いに行った木曜日の夕方、ジョーディはそう言ってジェンを驚かせた。
「あなたを引き取った人が、そう言うの?」
「いや、美大の推薦を受けろと勧められたことも話してないよ」
ジョーディは歯を見せて笑った。
「高校を終えたら東部の大学に入るって決まってるんだ」
「そうなの?」
ジョーディの成績なら、きっとどこでも入学させてくれるにちがいない。 ジェンにはわかっていた。 彼は勉強だけでなく、バスケットボールとフットボールでも優秀で、クラブから盛んに勧誘が来ていた。
「東部にも川や森はたくさんあるから、あなたが動物の面倒をみているところが目に浮かぶわ」
「それが心残りだよ」
去年落ちたコマドリの巣を載せてやった木を見上げて、ジョーディはぽつりとつぶやいた。
「向こうへ行ったら、ここのことを思い出すだろうな。 カワウソや狐、アオカケス、ムシクイ、それに君んとこの犬や馬も」
ジェンもしんみりした。
「あなたもここが好きなのにね。 住めないのは残念だわ」
「こないだ、本物の親父が帰ってきた夢を見たんだ」
寄りかかっていた幹から体を起こすと、ジョーディはきらきらした瞳でジェンを振り返った。
「本当にそうならないかな。 まだ遅くない。 親父が会いに来てくれたら、ついていくつもりだ」
まだ遅くないって、どういう意味だろう。 ジェンはジョーディの気持ちに何とかして寄り添おうとした。
「大学へ行きたくないの?」
「いや。 ただ……」
ジェンは息を詰めて、次の言葉を待った。 ジョーディと養い親との奇妙な関係が、そしてジョーディを悩ませているらしい養い親の方針が、少しはわかるかと期待した。 ジェンはジョーディに正直になってもらいたかった。 彼はこんなにいい人なのに、屈折した思いを抱いている。 そして、それを誰にも相談しない。 大して力にはなれないだろうが、人に打ち明けただけで、悩みは軽くなるものだ。
だが、今回もジョーディは踏みとどまった。 地面に置いていた道具入れをかつぎあげ、さりげない口調で言った。
「よそう。 僕の悩みなんか、君にはおもしろくないよ」
「おもしろがってなんかいないわ!」
珍しくジェンはカッとして言い返した。 ジョーディは詫びのしるしに片手を挙げただけで、さっさと歩き出して一人で川を下っていった。
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