表紙
明日を抱いて
 95 複雑な心で




 ジェンの眼が飛び出しそうになった。 あまりの驚きに声が出なかった。
 ジョーディも同じ気持ちのようで、六十ヤードほど向こうの木立の中でキスを交わし合っている恋人達を見つめたまま、ほーっと大きな息を吐いた。
 ようやく二人の顔が離れたとき、ジェンはエイプリルが親友にもひた隠しにしてきた相手の正体を知った。 それは、デューク・アンバーだった。
 ジョーディが低くつぶやいた。
「あれは水遊びのときの……。 ジャッキーが言ってた貴族三兄弟だろう?」
 ジェンは小さくうなずいた。 彼らが爵位で呼ばれている理由を、最近知ったばかりだった。 あれは事実の裏返しだったのだ。 アンバー一家はまだ父親の借金を背負っていて、実質村一番の貧民だった。
「彼はディック・アンバーよ。 もうあまりデュークとは呼びたくない。 貧しいのをわかっていてからかうなんて、よくないと思う。 親の借金は子の責任じゃないのに、彼はがんばって返そうとしてるんだもの」
 ジョーディはゆっくり腕を組むと、静かに言った。
「だが、エイプリルの婿さんとしたら最悪だな。 許してもらえっこない」
 彼の言うとおりだった。 ディック・アンバーがどんなに立派な若者でも、トマス・ロイデン・ウィンタースの高い基準にかなうはずはない。 彼は美貌で賢い一人娘に、家系の誇りのすべてと、事業の将来まで賭けていた。
 それでもジェンは心から湧き出た本当の気持ちを口にした。
「そりゃ家柄や財産がないのは大きなハンデだけど、素質からいったらディックは村一番、いえミシガンで一番と言ったって言いすぎじゃないわ。 頑丈で頭がよくて、人に好かれるし付き合いもいい。 おまけに努力家だし。 彼が社長になったら、がんばってきっと事業を大きくすると思う」
 そう言い切ってから視線に気づいて顔を上げると、ジョーディがじっと見つめていた。
「力入ってるね。 君もあいつが好きなのか?」
「いいえ」
 ジェンはきょとんとした。 そんなこと、夢にも思わなかった。
「なんで私の話になるの? 私はたぶん恋愛なんて……」
「恋愛がどうしたって?」
 突然すぐそばで明るい声がして、ふたりは飛び上がった。 お互いの話に夢中になって、いつの間にか当のエイプリルが来ているのに気づかなかったのだ。
 エイプリルはまったく普通だった。 ついさっきまで命がけのようなキスをしていたとはとても見えないし、男の姿も消えている。 やわらかなピンクの頬をして目をきらきらさせて、ちゃんとピンクの日傘まで持っていた。 さっきの出来事は白昼夢だったのかと、一瞬思わせるほど自然だった。
 彼女はどのあたりからふたりの話を聞いていたのだろう。 ジェンとジョーディは同時に心配になって、体を強ばらせた。
「エイプリル!」
「いやだ、驚かないで」
 くすくす笑いながら、エイプリルはジェンを肘で突っついた。
「待ち合わせしたじゃない? ねえ、ひょっとしてジョーディも占いしたいの?」
「いや、おれはいいよ」
 ジョーディはすばやく立ち直り、帽子にひょいと軽く指をかけて挨拶した。
「君が来たから、もう行くよ。 ジェンがさっきロッキーマウンテンから落ちかけたんだ。 頭打ったかもしれないから、ちょっと心配でついてきただけ」
 立ち去っていくジョーディの背中を見送った後、すぐエイプリルは真剣な表情になって向き直った。
「たいへん。 大丈夫? やっぱり、あの台はあぶないと思ったのよ」
「ぜんぜん平気」
 そう答えた後で、ジョーディに助けられたことを言おうとしたが、なぜか舌が動かなかった。 今の状況でそれを話したら、きっとエイプリルは自分達のように、ジョーディとも恋仲だと信じてしまうと思った。





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