表紙
明日を抱いて
 92 祭の会場で




 その年のステートフェアは、八月の末から九月の初めにかけて開催された。 全米に先がけてこのお祭りを始めたのは、他でもないミシガン州なので、どこよりも立派にしたいと張り切っていた。 会場は派手に飾り付けられ、山車〔だし〕が町の通りを練り歩き、移動遊園地が設置されて、回転木馬や力比べの台などに子供だけでなく大人もむらがった。
「去年より一段と華やかね」
 みんなでリンゴ飴を分けっこして食べながら歩いているとき、ジェンが背伸びをして周囲を見渡しながら言ったので、マージが笑い出した。
「ジェンったら、まるで都会に初めて出てきたおのぼりさんみたいよ」
 ジェンも可笑しくなって笑った。 大都市でもっと大規模な祭りを見たことは確かにある。 ニューヨークではセントパトリックのお祝いに行き合わせ、緑の服を着た森の小人のような行列や、警官の大行進を見物した。 だがそれは、ただの見物人としてだった。 ここはわが町、わが故郷なのだ。 力の入り方が全然ちがう。
「だってすてきじゃない? 今年はずっと天気がいいし、わりと涼しいから動物たちも元気だし」
 農業祭なので、主役は家畜や農作物だ。 婦人たちの料理コンテストもある。 コニーは結婚以来ずっとお菓子部門で優勝していて、今回も力作を出品していた。 今年はジェンも手伝ったため、二日後の順位が心配だった。 何かヘマをして味が悪くなっていたらどうしよう。 コニーは味見して、前の年よりおいしいと太鼓判を押してくれたが……。
 そこへエディ・ハントとハウイ・デントンが向かい側からやってきた。 中学で一、二を争う美男だったエディは、帽子を取ってわざとキザに挨拶した。
「いやあ、美しいお嬢さんたち」
 それはまんざらお世辞でもなかった。 エイプリル、マージ、それに最近めっきり女らしくなった巻き毛のリリアンが並ぶと、にぎやかな会場でもひときわ目立って、振り返る男たちが後を絶たなかった。
 ハウイもつられて麦藁帽子を取ったものの、手に握ったままもじもじしていた。 普段は特に人見知りというわけではないのだが、マージの前に出るととたんに口が重くなる。 彼がマージに片思いしていることは、最近ではもう皆にばれていた。
「ただぶらついてるだけじゃ、つまんないだろう? ロッキーマウンテンに行かないか? ちょっとは服が汚れるかもしれないけど」
 ロッキーマウンテンとはアトラクションの一つで、ただの山形の坂だった。 ただし、板をつるつるに磨きあげた上にワックスを塗ってあって、横の階段から登った男女はどうしてもまっすぐ立っていられず、きゃーきゃー言いながら転がり落ちてくることになる。 ある意味スリル満点で、見物人にも喜ばれた。
 マージはすぐ乗り気になった。 だがエイプリルは珍しく、着ている淡いピンクのドレスを見下ろしてためらった。
「私はやめとく。 でもみんなは行ってらっしゃいな」
「まあその服じゃな」
 ハウイが同情したように言った。
「なんでもうちょっと濃い色にしなかったの? いっぱい服持ってるのに」
 エイプリルはスフィンクスのような謎めいた表情になって首を振った。
「気に入ったから着てみたかったの。 それだけ」
「ふうん」
 上の空で答えながらも、ハウイの眼はそっとマージを追っていた。
 こうして七人でやってきた女の子たちは二手に分かれ、大部分はエディたちについていくことになった。
 ジェンはエイプリルと残ろうかとためらった。 しかし、長い睫毛の下からエイプリルが友達の反応を確かめているのに気づいて、彼女が一人になりたいのだと悟った。 それて明るく声を出した。
「じゃ、三十分したら占い師のテントの前で会おう。 デビーが手相をみてほしいって言ってたでしょう?」
「そうそう」
 デビーが身を乗り出して大きくうなずいた。
 それでもにわか作りの雑踏の中に、エイプリルを一人残していくのは気がかりだった。 サーカスの大テントを回ってロッキーマウンテンに向かうとき、ジェンは振り返ってエイプリルを確認しようとした。 だが上品なピンクのドレスはどこにも見えない。 エイプリルはあっという間に姿を消していた。





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