表紙
明日を抱いて
 53 月光の中で




 心から驚いて、ジェンは親友をまじまじと見つめた。
「え? でもそんな約束なんて一言も聞いてないわ」
「秘密だったの。 コニーさんが気を悪くするといけないから。 母親だもの、一人娘のデビューは自分で飾りたいわよね」
 一人娘──ジェンの胸が締めつけられるように痛んだ。 今度産まれる子が女の子だったら、もう私は一人娘じゃない。 母は娘のデビューどころか、その子がこの世に生を受けた瞬間から大切にかわいがれるのだ。
 それでもジェンはきちんと座りなおすと、真面目に言った。
「本当にありがたいと思うわ。 でも大丈夫よ。 私は正式にここの子になったの。 だからここから巣立って、世の中に出ていくわ」
 ワンダはじれったそうに、横にあるジェンの膝に手を置いてゆすぶった。
「ねえ、わかってよ。 うちの両親はあなたが大好きなの。 私がいじめに遭わなかったのも、ピーターが不良にならずにすんだのも、みんなあなたのおかげだとわかってるの」
 そして、反論しようとするジェンの口を両手でふさいだ。
「だめ、謙遜しちゃ。 母はちゃっかりしてるんだと思うわ。 まだあなたに助けてもらえると思ってるんだもの。 金持ちの子にはいろんな罠があるって、お父さんが言ってたわ。 それをジェンは見抜いてしまうのよね。 あなたには不思議な力があるって、いつも感心してた」
 それはきっと、私が本心から人を信じていないからでしょう、と、ジェンは密かに思った。 相手を疑うというのではないが、何が起きても大丈夫なように最悪のことを考えておく、という習慣は、小さいときからあった。
 無邪気で人を信じやすいワンダは、今度はジェンの手を両手で握って、盛んに訴えた。
「いいでしょう? 大学なんてたった四年間よ。 ご両親だって許してくれるわ」
「まだまだ先のことよね」
 ジェンは笑顔になって立ち上がった。
「その時までに事情が変わっているかもしれないし」
「そうそう」
 ジェンが少し折れはじめたのを見て取って、ワンダは嬉しそうにうなずいた。


 客室を後にして自分の寝室に入ると、一段と孤独が身にしみた。 窓辺に立って眺めた戸外は、もうすっかり雪が上がって、白い地面を青ざめた月の光が照らしていた。
 やがて居間の大時計が鈍く鐘を鳴らすのが聞こえてきた。 もう十一時だ。 こんなに遅くまで起きていたのは、ずいぶん久しぶりだった。
 そのとき、裏庭を何かが走るのが見えた。 奇妙な、引っかかるような動き方をしている。 大きさは小型の犬ぐらいで、長い尻尾が下がり、ずるずると雪をこすっていた。
 怪我してる。 ジェンは直感的にそう思った。 たぶん狐の子だろう。 このままではフクロウの餌になってしまう。 わびしい気分だったので、どうしても子狐を助けたい気持ちにかられて、ジェンは寝巻きの上にガウンを素早く羽織ると、足を忍ばせて廊下に出て、爪先立ちで階段を下りた。





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