表紙
明日を抱いて
 25 心が通う朝




 その晩、ジェンはあまりに幸せで、なかなか寝付けなかった。 生まれてから十三年、いろんな楽しいことが数多くあったが、なんといっても今夜のひとときが、あの美しい服を作ってもらったとわかった瞬間の喜びが、これまでの最高だった。
 母のコニーに昔何があったかは知らない。 ヒルダはジェンの実の父の話になると、いつも貝になったように固く口を閉じて、けっして語ってくれなかった。 だからジェンはその男性の面影を想像することさえできず、母のことだけ考えるようにしていた。
 ジェンがひそかに夢見ていたのは、母だけだった。 妹のコニーはいい子よ、あんたは捨てられたんじゃないの、と、ヒルダはいつもジェンに言いきかせた。 ただ、ミシガンの村は小さくて人の口がうるさく、独身の娘が子供を産んで育てられるところじゃなかったの、と。
 それは幼いジェンにもわかった。 旧約聖書には、なんじ姦淫〔かんいん〕するなかれ、と書いてある。 結婚しないで子供を作るのは姦淫なのだという。 でも、できてしまった子供には罪はない。 それじゃ親は罪人なのか?
 教会には悪いが、ジェンにはそうは思えなかった。 だいぶ大きくなった今でも、やはり思えない。 コニーに実際に会ってみて、ますます強くそう感じるようになった。 実の母は目がくらむほど美人だが、まったく高ぶったところがない。 それどころか、誰よりもまじめに熱心に働いて、家庭と夫を支えている。
 となると、悪いのは誰だろう。 ジェンは初めて、実の父をぼんやりと思い描き、はっきりと嫌いになった。 どんな事情があったにしろ、その男はコニーを助けずに去った。 妊娠を知っていたかどうかわからないが、子供の面倒もみなかった。 後で確かめようと思えばできたはずなのに。
 もうよそう。 人を憎むのはよくない。
 ジェンは心臓の上に手を置いて気持ちを静めた後、寝返りを打って目を閉じた。 そんな男の人のことは、頭から追い払おう。 そして母さんを愛し、ミッチさんの手伝いをして、二人の幸せを壊さないようにがんばろう。


 いつの間にか眠りが訪れて、ジェンは窓から日が差し込んで眩しくなるまで、目を覚まさなかった。
 周りが白っぽくなったので飛び起きると、時計が六時少し前を指していた。 ジェンはマットレスのばねを使って、ぽんとベッドから飛び出し、鼻歌をくちずさみながら支度して、そっと階段を下りた。
 母はもう起きていた。 台所から小さく物音が聞こえる。 ジェンがドアを開けて覗くと、コニーはパンを焼いているところだった。
「おはよう、母さん」
 ジェンの呼びかけに、コニーは天火の前から振り返った。 そして目が合うと、初めて微笑した。
 小さく口元が上がるだけの微笑みでも、別人のように雰囲気が変わった。 真顔だと昔の絵画の貴婦人みたいに近寄りにくかったのに、はにかんだ笑顔だと人見知りの少女のように見えた。
 本当はそうなんだ、と、ジェンは気がついた。 コニーは冷たいのではなく、おとなしくてなかなか打ちとけられないだけなのだ。
 ジェンはほとんどスキップして母に近づき、天火にかがんでいたせいで額にから垂れ下がり、目を半分おおっていた髪の房を持ち上げて、髪留めに挟みなおした。 両手がふさがっていたせいで母が自分では直せなかったのだ。
「ありがとう」
 柔らかいささやきが聞こえた。 母さんは姿だけじゃなく、声もきれいだ。 ジェンはニッと笑いかえして、かいがいしくトングを手に取り、天板から焼きたてのパンを皿に降ろす手伝いを始めた。  





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