表紙
明日を抱いて
 8 汽車の中で




 駅のホームに行って汽車を待つ間、ヒルダも次第に神経をすりへらしていった。 長年の訓練で表情はほとんど変わらないが、手を細かくもみしだく様子から、ジェンにはヒルダが娘のように育てたジェンと別れる寂しさと、顔を見たこともない実の母に自分の都合だけで引き渡す良心の呵責にさいなまれているのに気づいた。
 やがて四分遅れで汽車が入ってきた。 するとヒルダは思いがけない強さでジェンの手をつかみ、ふるえる声で言った。
「私もついていこうか? コニーに詳しくあんたのことを話さなきゃ。 どんなにいい子で周りに愛されているか、ちゃんと認めてもらわないと」
 離れがたい気持ちを抑えて、ジェンは伯母の荒れた手をぎゅっと握り返した。
「ありがとう。 でもいいの。 ミシガンは遠いし、汽車賃も高いわ。 それに、おばさんはこれからポートランドに行って新しい暮らしを始めなくちゃいけないのに、二倍疲れさせたらライナーさんに怒られてしまう」
 それからジェンは、最後に思い切りヒルダに抱きついて、胸に顔を埋めた。 伯母はいつものように、寝具に入れたラヴェンダーと洗濯糊のまじった清潔な匂いがした。
「おばさん大好きよ! うんとうんと幸せになってね。 ポートランドに手紙を書くから。 毎晩おばさんのことお祈りするからね」
 負けずに固く抱きしめて髪にキスしながら、ヒルダも涙混じりに囁いた。
「私は朝晩祈るわよ。 コニーは悪い人間じゃない。 それは確か。 ても子供のときから扱いにくい子だった。 あんたも会えばわかるわ。 どうしてそうなったか。
 ああジェン、ジェン、あんたのことは何も心配してないの。 あんたぐらい強くて考え深い子はどこにいても立派にやっていけるし、必ず幸せを掴む。 だから健康だけは気をつけてね」
 そのとき、ミッチの大きな手がジェンの肩に載せられた。 発車時間が迫ってきたのだ。
 ジェンは素直に伯母から体を離し、帽子の箱を抱えなおして客車の段を上った。 ミッチはヒルダとホームに残って何か話し合った後、発車のベルが鳴ってから急いで乗ってきた。
 窓側に座席を取った後、ジェンはすぐ身を乗り出した。 ヒルダが泣き笑いしながら投げキスを送り、ジェンもお返しをしているうちに、列車はゆっくり動き出し、みるみる速度を増して線路を大きくカーブを切って曲がると、もう駅は見えなくなった。


 乗客は八割ぐらいの入りで、ミッチが選んだ四人席には二人だけで座れた。 彼は明らかに気詰まりを感じているようだが、人見知りしないジェンは海風が吹き込む窓辺の席で汗が乾いていくのを喜び、少しの間景色を眺めた後で、バッグに入れた乗車券を確かめた。 やがて車掌が検札に来るのを知っていたからだ。
 ちゃんとあったのでホッとして顔を上げると、ミッチと目が合った。 彼は低く咳払いした後で、ぽつりと言った。
「旅慣れているようだね」
 ジェンはすぐ微笑んで答えた。
「ゴードンさんたちは夏と冬に旅行するの」
「いつもついていったのかい?」
「ええ、ピーターと乳きょうだいだったから、そういう習慣になったみたい」
 ぎこちない間が空き、ミッチはまた咳払いした。
「町の学校で優等生だったんだって? うちらの学校じゃ物足りんだろうな」
 ジェンは驚き、真面目な顔になった。
「そんなこと、ないと思う。 ジョージが……ゴードンさんが言っていたけど州によって学ぶ科目が違っていて、ミシガンでしか習えないことがあるだろうって」
「それはそうかもしれんが」
 ミッチの目が珍しく躍った。
「かんじきの履き方とか羊のお産の世話とかな」
 そこで彼は、まずいことを言ったのに気づいた。 日に焼けた顔色が一段と濃くなって煉瓦色になったため、ジェンはうっかり出産について口にしてミッチが困っているのに気づき、心を打たれた。 牧畜業をしているのに、女の子にはしたないことを言ってしまったと後悔しているなんて。 そういうところはゴードン家のほうがよっぽどあけっぴろげで、ジェンはトニーの愛犬ジマイマのお産を手伝ったことさえあった。






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