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―129―
ここぞとばかり、香南は兼光を押しまくった。 そのたびに、兼光の背中がドアに当たる。 いやでもガタガタ揺れて、人目を引いた。
「あっ、あそこだ!」
男の高い声が響き、足音が入り乱れて迫ってきた。 もはや兼光は、香南を止めるより自分が逃げようとして、彼女を必死で押し返していた。
「どいて! 離してよ! 離せっての!」
「もう逃げ場はないわよ。 向こうのドアは外から鍵かかってるじゃない」
兼光のキツネ眼が、上ずってもっと釣りあがった。 追い詰めすぎて逆切れさせたかな、と、香南が不安になったその瞬間、兼光は唸り声を発して上着の中に手を突っ込んだ。
やばい! ナイフかスプレーか、危険な物を出すつもりだ!
そうひらめくと同時に、香南はあらん限りの力で兼光の手首を掴んだ。
「痛〜い! 痛、痛、痛いったら!」
兼光の悲鳴がまるで合図になったように、ドアが凄い力でバン! と開いた。
張り付いて格闘していた二人の娘は、爆発的に開いたドアに跳ねのけられて、どさっと床に転がった。
すぐに男たちが乗り込んできた。 先頭に立った革靴が、容赦なく兼光を踏み越えて、香南に駆け寄った。
「痛い! もうほんとに!」
泣きべそになった兼光は、八つ当たり本能全開で、懐から引っ張り出したスプレーを思い切り噴射した。 ロゴ付きのジャケットを着た青年は、兼光を助け起こそうとしたのに、あやうく真正面から浴びせられかけて、慌てて飛びのいた。
「おい! ちょっと……」
「うわ、何だー? 目にしみるぞ、これ」
「痴漢よけスプレーじゃないか?」
「取り上げろよ。 やめなさい、ほら、やめろって言ってんだろ、このバカ女!」
制服姿の若者たちは、シューシュー言わせながらスプレー缶を振り回して暴れる兼光を、左右から捕まえた。
そして、三人とも気分が悪くなった。
二メートルほど離れたところでは、ブランドのスーツが汚れるのも構わずに、蔦生が膝をついて香南を抱き起こしていた。
「大丈夫かっ? どこか痛くないか?」
「うん、どこも怪我してない。 変なスプレーかけられて、少し頭痛がするけど」
はたと気づいて、香南は夫の広い肩越しにドアの方を見た。
そこでは、兼光と○○安全サービスの係員二人が、床面にへたりこんでいた。 ガタイのいい青年たちは、首を振ったり咳き込んだりして、なんとか持ち直そうとしているが、兼光は体を丸めて横たわったまま動かない。 自分で撒いた中身を、たっぷり吸い込んだらしかった。
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