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表紙

crimson sunrise
―1―


 香南〔かなん〕は、都会が好きだ。 変化が激しくて、数ヶ月か、ときには数週間で町並みが変わる。 じっとしていないそのエネルギーが、肌に合った。
 ただ、気に入らないところも多々ある。 都会人は、樹木と動物が嫌いだ。 生き物は何でも、公園か室内に押し込めようとする。 生存権は人間だけにあると思っているらしい。
 不定期な仕事を終えて家路につくとき、バスを降りてイチョウの木が見えると、香南はいつもほのぼのした気持ちになった。 根無し草のアパート住まいだけれど、この木が迎えてくれると、ああ、家に帰ってきた、という気分になれる。 春から夏は緑が美しく、秋になると豪華な金の巨大ブーケに変わるその木は、香南の心のよりどころだった。
 だが、そのささやかな幸せが、間もなく消えようとしていた。 長年その土地に住み、庭木を愛でていた老夫妻が相次いで亡くなると、相続した息子が、整地して売り出す際に切り倒すことを決めた。
 それを聞いて以来、イチョウの立つ角を曲がるたびに、香南はひそかに呪いをかけている。 古木を切るとたたりがあるんだよ、と。


 その日の仕事は、新装開店したスーパーマーケットで、手作り弁当用のミニ・ソーセージを売り込む作業だった。
 シャボン玉のようなドット模様のビッグエプロンを私服の上から被って、香南は花を飾った店の前に並べた販促用テーブルを忙しく行き来し、若いママたちや、近くの保育園帰りの青いスモックを着たチビたちに、タコ、クマ、チューリップなどをかたどったソーセージの端切れを配った。
 幸い、その午後は薄曇で、暑くもなく、寒くもない快適な気候だった。 子供たちの中には、チーズをつけないと喉に詰まる、などと言う、文字通り食えないガキもいたが、そっちはうまくチーズオムレツ・サンドの試食に誘導し、香南は同僚の桜と並んで、てきぱきと客をこなしていった。


 試食の手伝いは、七時までだった。 梅雨時が近いが、まだ夏ではないので、空は暗みを増し、たそがれが近づいていた。
 テーブルを折りたたんで片付け、周りを掃き清めていると、桜が足を軽く引きずりながらやって来た。
「ウッ、ふくらはぎバンバン。 脚が棒を通り越して、吊りそう」
「今日はさすがに疲れたねー」
 香南も激しく同意した。 拘束時間が長くて、短いトイレ・タイムしか休憩がないという強行スケジュールだったのだ。
「もうソーセージはしばらく見るの嫌だ。 すっきりさっぱりのソバ食いたい」
「駅前で食べてく?」
「そうしよ。 帰ったら即、おねんねだ」




 香南も桜にならって、その晩はアパートに戻るとすぐ小さなバスに飛び込み、うたた寝する前に何とかジャージを着込んで、ベッドに這い上がった。


 こんなシケた晩の明け方に、運命がどでかい曲がり道を用意しているとは想像もせずに。




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