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―125―
そこに至って、ようやく香南は誰の声か悟った。
前に会ったときは、初め気取っていて、それから急に金切り声になったので、普通のしゃべりを聞いていなかったのだ。 でも、もう確かだ。
用心しながら、ごくかすかに薄目を開けたら、向こうも首をかしげて、じっと覗きこんでいた。
視線が合った瞬間、高島尚美、ではなく兼光邦代はヒュッと息を呑むと、五十センチぐらい飛びのいた。
こんな大げさな反応、アニメでしか見たことない。 香南は、緊迫した状況なのも忘れて、笑いそうになった。
もう意識があるのを見られてしまったので、香南は腕を突っ張って再度起き上がった。 兼光はもう一歩下がり、安全距離から上ずった声で尋ねた。
「気分、悪い?」
まだいくらか視野が揺れるが、吐き気はとっくに収まっていた。 香南は兼光から目を離さずに、ぽつりと答えた。
「別に」
「落ち着いてるわね〜、あなたっていつも」
感心した風に、兼光は言った。
確か、彼女の弟は鍵をかけずに出ていった。 兼光はほっそりしていて、あまり体力はなさそうだ。 今日はスーツとハイヒールではなく、水色のパーカーと紺のスニーカー姿なので、前よりは身軽に動けるだろうが。
この人ぜったいビビってるから、弟が戻ってくる前に突き倒して、自力で逃げようか、と香南が思案していると、兼光は妙に戦闘意欲の失せるおろおろ声で、言葉を続けた。
「外国製のスプレーなのよ。 ノックアウトなんとかいう。 ちょっとの間だけ意識が消えるってやつ。 ぶっつけ本番で使ったんで、あなたがなかなか起きなくて心配したけど」
「もっと違うこと心配したら?」
香南は我慢できなくなって言い返した。
「人さらいは重い罪よ。 刑務所に入れられるわよ」
「だってあなたが消火器なんかかけるから! リベンジよー」
兼光は声を上ずらせて、見当違いのことを叫んだ。
「あの後大変だったんだから。 目が腫れて、こことここがかぶれちゃって」
「あれもあなたが悪いんでしょう? あのときだって誘拐しようとしたじゃない」
「違うの! ぶっちゃけて説明しようとしてたのに、いきなり襲ってくるんだもの」
呆れて、香南は作業台からすべり降りた。
とたんに兼光も飛びすさり、ドアを背にしてわめいた。
「あの時はぁ、あなたを助けてあげようとしてたのよ!」
「はあ?」
何という逆立ちした論理!
香南は反射的に兼光に詰め寄っていた。
「助けるって、何から!」
ヒールを脱いだ兼光は、香南より五センチほど背が低かった。 めずらしく上からのしかかる体勢になれて、香南はちょっと嬉しくなった。
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