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表紙

crimson sunrise
―120―


「まさか君……」
 声までが頼りなげに揺らめいている。 こんなに不安そうな蔦生を見たのは初めてだった。
「え?」
 常にない彼の様子を見て、香南まで楽しい気分が一度にしぼんだ。
 もしかして、蔦生は呉に会ったのだろうか。 呉がアパートを出ていってから一時間以上経つが、万が一、また戻ってきて蔦生の帰宅を待っていたとしたら……。
「あの」
「あいつの言うことは」
 二人は同時にしゃべり出して、慌てて口をつぐんだ。
 香南は片手を出して、先に話してくれと合図した。 するとなぜか蔦生は横に首を振り、落とした声で尋ねた。
「誰とコーヒー店へ?」
「江実さん」
「は?」
 蔦生の顎が落ちた。


 全然予想していなかった名前らしい。 あっけに取られた後、蔦生は気の抜けた声を出した。
「江実って、秀紀と結婚した、あの?」
「そう」
「な〜んだ」
 反射的に口走った一言は、香南を半分ほっとさせ、半分警戒心を持たせた。 本人に会って感じたとおり、江実は明らかに、香南の敵ではないのだ。 しかし蔦生には、香南に会わせるのが心配な人物が、少なくとも一人は存在するらしい。


 二人は肩をくっつけ合って、狭い階段を横並びに上がった。
「江実のほうから来たの?」
「そう。 江実さんの結婚のすぐ後に籍を入れたって聞いて、わざわざ挨拶に来てくれたの」
「体育会系だからな、あいつ」
 蔦生はフッと笑った。
「前から友達だったって?」
「まあ、友達といえば友達かな。 あ、誤解しないでくれよ。 女とは思ってないから」
「えー?」
 江実から話を聞いて、うすうす感じてはいたが、正面切ってこう言われると、やはり驚いた。
「でも江実さんって、私に似てない?」
 蔦生は一瞬、口をつぐんだ。 それから、ぼそっと何か呟いた。 よく聞き取れなかったが、だから会わせたくなかったんだよな、と言っていたような気がした。
「うん、似てるかも。 だけど、外見だけで人を好きになるもんじゃないから」
「そうね」
 顔に関係なく私を好きになったってことか──香南は愉快になった。 ずっと胸の奥にわだかまっていた、江実への引け目が、朝霧のように晴れて消えていった。







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