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―116―
駅の方角まで少し歩いて、香南は江実を小さくて家庭的なコーヒーショップへ案内した。
「そこ、モカとラテがおいしいんですよ。 時間帯によって流す曲が違うのが面白いし。 午前中はクラシックで、午後はアニメの主題歌、夜は確か映画音楽」
店が近づいてきて、江実は耳をすませた。
「ほんと。 『エレファントマン』やってる」
茶色の濃淡で統一された店内に入ると、三十代の主人が笑顔で迎えた。
江実はラテ、香南は久しぶりにキリマンジャロを頼んだ。 しっかり意識を保ちたい気分だったので。
窓に近い席に座った後、江実は水を一口飲んで、まっすぐな視線を香南に向けた。
「じゃ、改めてご挨拶。 蔦生秀紀と結婚して十三日目の江実です」
香南も姿勢を正し、きちんと答えた。
「蔦生行矢の妻で、香南です。 初めまして」
「今後ともよろしく」
頭を下げあってから、江実がクスクス笑った。
「こういうのって苦手。 母が早く亡くなって、オヤジっ子だったから、基本的なしつけができてないのね」
母親がいない生活って、どんなだろう。 香南は、家族との絆になってくれている母を思い、江実の寂しさを感じ取った。
「私こそ何もお知らせしないでごめんなさい。 入籍しただけで式を挙げてないんで、どこまで言えばいいのかわからなくて」
「隠しておきたい行矢さんの気持ちもわかるわ」
江実が、意外な発言をした。
「彼、これまでひたすら攻撃側だったでしょう? 失うものがないから。 ガシガシ追い詰められて、秀紀は哀れなもんだった。
でも、行矢さんはとうとうあなたを見つけた。 やっと守りに入ったわけよね」
「やっと?」
無意識に、香南は問い返していた。 江実は大きく頷いた。
「彼はずーっと独りぼっちだった。 結婚してた間も。 あなたと会って、初めて自分の心の中に入れた。 ていうか、あなたの生活に入りこんじゃったんだ」
そこでまた、江実は満足そうに笑った。
「あー、わかったように言ってごめん。 ただ、私は知ってたから。 彼がちょこっと口すべらせたのよ。
たぶん、誰かに話したくて、相手が私しかいなかったんだと思うけど」
はあ?
香南はただ驚くしかなかった。
最大のライバルだと思っていた江実が、実は相談相手?
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