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crimson sunrise
―106―


 その後、秀紀は甘えるような口調で付け加えた。
「ともかく、行矢の様子を見といてくれよ。 こういうのは女のほうが勘が鋭いって言うじゃないか。 だから、浮気してそうだったら、できるだけ阻止してくれ」
 そんなこと言われても…… 香南は、秀紀の調子良さにあきれた。
「いやだ、そんなの。 私はあなたの部下じゃない」
「命令なんかしてないだろ。 頼んでるの。 この件じゃ、おれ達立ち位置が一緒だから、組んだら力が出るって言ってるんだ」
「もっと奥さん信じたほうがいいよ。 私は行矢さんを信じる。 じゃ、この話はもういい?」
「あれ、ちょっと待てよ」
「待たない。 私だっていろいろ、やることがあるの。 じゃね」
 ポチッとボタンを押して切ってから、香南は床のクッションに座り込み、テーブルに寄りかかって頬杖をついた。
 額に小波のような皺が寄った。
 秀紀はおろおろしている。 惚れた弱みで、妻を非難する勇気がないのだろう。 それに、蔦生行矢に対する劣等感もあって、腰が引けている印象だ。
 それにしても、会社近くのレストランで、二人で食事したなんて。
 二人だけで。
 香南も、いい気持ちはしなかった。


 その晩、蔦生は八時前に帰ってきた。
 明るい声で、ただいま、と初めて言いながら玄関をくぐったので、香南は驚いて、整理していた引出しを開けたまま、寝室から飛んでいった。
「おかえり〜。 早く帰れたね」
「うん。 いつもこうできればいいんだけど」
 はい、と渡されたのは、売れ筋でなかなか手に入らない高級プチケーキの箱だった。
「ありがとう。 いつも凄いものくれるけど、どうして流行りの物知ってるの?」
 蔦生は笑いになりきらない半端な表情を浮かべ、通勤用の靴を無造作にラックに載せて、上がってきた。
 そして、いきなり香南を軽々と横抱きにして、足でリビングのドアを開けた。
「そうだな、ネットで見たり、会社の連中の噂を聞いたり」
「秘書さんとか?」
「僕の秘書は男。 それも体育会系で、仕事はできるが趣味は空手とログハウス作りだ。 流行なんて欠片〔かけら〕も知らない男だよ」
「ログハウス? 私と趣味合いそう」
 香南が笑いながら言うと、ポンとカウチの上に落とされた。
「だめ。 じゃ、会わせないようにする」
「何言ってるのー?」
「絶対だめ。 摂津〔せっつ〕は結構いい男だから、交際禁止」
「やめようよ、そんなの」
 香南がもがいて起き上がろうとすると、上から抑えつけられた。
「穴掘って隠しておきたい」
「私を?」
「そう」
「冬のジャガイモみたいに?」
 二人は揃って吹きだした。










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