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表紙

crimson sunrise
―97―


 翌朝、香南がまだ寝込んでいるうちに、蔦生は出かけた。
 前日の駆け足旅行で一杯一杯になって、彼が先に起きたことも、メモをテーブルに残して出社したことも、香南はまったく気づかなかった。
 だから、八時過ぎに目が覚めたとき、申し訳ない気持ちになった。 行矢さんだって気を遣って私以上に疲れただろうに、立場があるから寝坊できない。 がんがれ自分! と反省した。


 月曜日は、午後から木工教室があった。
 夫のメモに、もしかすると遅くなるかもしれない、そのときは電話する、と書いてあったので、携帯は忘れないように気をつけた。
 小雨の中で到着した教室では、初心者コースで時計を作った。 メカと針はセットになっているので、個性の出しどころは文字盤のデザインだ。 香南はもうじき来る夏向きに、波とかもめを大胆に彫った。


 帰りがけ、また千寿に誘われてコーヒー・ハウスに半時間ほど入った。 幸恵は、雨が本降りになってきたので、連れ合いを車で迎えに行くと言い、二人とビルの正面で別れた。
 その後、改めてコーヒーを飲んだのだが、千寿はまったく幸恵の噂をせず、香南は感心した。 仲良しの集まりを休むと、必ずといっていいほど冗談や陰口の標的にされるものだが。


 駅で千寿とも別れた後、香南は帰りの電車に乗った。
 次の高円寺〔こうえんじ〕駅で停車したとき、香南は何気なくホームを眺めて、不意に目を見張った。
 もうすっかり見慣れた姿が、ベンチの傍にあった。 少し蒸し暑いので、スーツのジャケットを脱いで腕にかけている。 その上に、向かい合わせで立つ女性の手が載っていた。


 行矢さんだ!


 斜め前方に顔を向けているため、目鼻立ちのほとんどがはっきりと見えた。 間違いない。
 一方、相手の女はほぼ後ろ向きなので、顔はわからなかった。 すらりとしたスタイルで、若そうだ、ということしか。
 蔦生は、駅の奥のほうへ上半身をねじり、ジャケットを腕から外して肩にかけ直した。 すると話し相手は、揺さぶるように彼の両腕を掴んで、ほぼ真下から顔を見上げた。
 座席に座っていた香南は、思わず中腰になった。
──あれって、どう見ても痴話喧嘩じゃない……!──











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