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―95―
「近所の人も親切で言ってくれるんだろうけど、それは兄さんと由加里ちゃんが決めることだと思うよ」
母は思い切り悪く下を向いた。
「うん、まあそうだけど……」
「仲いいんでしょ?」
「いいみたい」
「お母さんともうまく行ってる?」
「そうね、ほとんど言い合いしないで済んでるから」
「それはどっちも偉いんだ」
香南は心から言った。
「今の空気、壊さないほうがいいんじゃない?」
返事の代わりに、母は小さく唸った。 考えるところがあるようだった。
段を低くした新型バスに乗り込んで、車が出ると、香南はホッとした。
「なんか、肩凝った」
横に座った蔦生が、眉を上げた。
「実家だろう?」
「それでも」
香南の部屋は、とっくに父に占領されて、プラモデルと大型バイクの雑誌で一杯になっているそうだった。 母と由加里には会えて嬉しかったが、兄の顔を見ても懐かしさはあまりなかった。
珍しく甘えて、香南は蔦生に寄りかかった。
「挨拶しに来てくれて、ありがとう。 嬉しかったよ〜」
「社会的しきたりだからな」
そう言うと、蔦生は目立たないように、香南の背中に腕を回した。
帰りは新幹線にして、名古屋で降りた。 香南が携帯でお城の写真を撮っているのを見て、蔦生がデジタルカメラを買ってくれた。
「行きがけに思いつけばよかったな。 お義兄さん達と記念写真撮れたのにな」
「お母さんや由加里ちゃんとはケータイで撮りっこしたよ。 由加里ちゃんは行矢さんをこっそり激写したって」
蔦生は笑い出した。
「こっそり撮らなくてもいいじゃないか? 声かけてくれれば」
「なんか話し掛けにくかったみたい。 若いのに迫力あるって言ってたから」
迫力? と呟いて、蔦生は怪訝な顔になった。
「どこが? おとなしくしてたのに」
「全体的に。 ラーを一発で黙らせちゃうとか」
「別に殴ってないよ」
蔦生はいたずらそうな笑いを浮かべた。
新幹線を乗り継いで、アパートに戻ってきたとき、蔦生の高級腕時計は午後七時十二分を指していた。
あちこち駆け足で回ったので、さすがに疲れた。 階段にたどり着いたところで、香南は手すりに寄りかかって提案した。
「上の部屋と下とで同時にシャワーして、それからピザ取ってどっちかで食べよう」
「それより上で一緒にシャワーしようぜ」
「あんな狭いところ、二人も入れないよー」
「ぎゅう詰めのほうが面白いって」
「立ちんぼになるよ? 足疲れてるでしょ」
「いいから行こう」
半ば強引に、蔦生は下から押して香南を上らせた。
ふざけて押し合いながら部屋の前まで来ると、ドアノブに小さめのスーパー袋が下がっていた。
何げなく取ろうとした香南に、蔦生の声が飛んだ。
「待って! 僕がやる」
そして、持ち手を片方だけノブから外して、中を覗いた。
その表情が、みるみる険しく変わった。 引きちぎるように袋を取ると、持ったまま階段を駆け下りて、表へ出ていってしまった。
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