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表紙

crimson sunrise
―90―


 それから数日は、何の妨害も起きなかった。
 週末、蔦生が思い立って完全オフにして、香南を故郷へ連れて行ったからかもしれない。
 提案を聞いて、香南は前もって実家に電話しようとしたが、蔦生は止めた。
「不意打ちして、相手がびっくりして反撃できないでいるうちに、とっとと帰っちゃおうぜ」
 そう言って、蔦生は切れ長な目を面白そうに光らせた。
「お母さんはともかく、他の連中には歓迎されそうにないからな」
「わからないわよ」
 有名人好きの父や兄を思って、香南は気が重かった。 蔦生の地位を知ったら、手のひらを返してちやほやするかもしれない。 そっちのほうが恥ずかしかった。
 香南の心中を察したらしく、蔦生はニヤッと笑って提案した。
「サラリーマンと自己紹介するよ。 実際そうだし」
「肩書きは言わないの?」
「そのうちばれるだろうが、最初は雇い人と思わせておいたほうが気楽だ」
「家へ入れてくれないかも」
「じゃ、玄関で帰ろう」
 蔦生は平然としていた。


 土日の二日間を空けたので、途中大阪へ寄ることにした。
 香南の高校の修学旅行は、九州だった。 まだ関西に観光旅行したことがないと聞き、蔦生は定番の名所をのんびり回ろうと言った。


 飛行機で一時間。 乗りなれている蔦生には、乗員のサービスがよくて、香南もリラックスできた。
 降りてから、二人はまず、イチョウの青い葉が瑞々しい御堂筋を歩き、それから淀屋橋でアクアライナーに乗って、大阪城を目指した。
 典型的なおのぼりさんコースで、それがかえって面白かった。
 大阪城には外国人の観光客も多く、土産物屋で一杯の広場には、にぎやかな声があちこちから響いていた。 蔦生と香南は人ごみに紛れないように、ずっと手をつないで歩き回った。 そして、赤と青の夫婦湯呑みを選び、[好きやねん]ボールペンを一本ずつ買って交換した。
 そういうささやかなことが、無性に嬉しかった。 彼が本当に好きだからだ、と、香南はしみじみと思った。 秀紀夫妻はドイツを豪遊しているのだろうが、遠くへ行かなくても、日帰りできる場所だってこんなに華やかで楽しい。 愛する人と一緒だと、何もかもキラキラしている。
「やっぱり一段と派手だよな」
 明るい顔で周囲を見回して、蔦生が呟いた。
「東京より祭りっぽい」
「お城があっていいよね。 江戸城はなくなっちゃったから」
「城好き? じゃ、帰りに名古屋城にも寄ろうか」
「行こう!」
 香南は顔一杯に笑みを広げた。


 これから実家へ帰るという大仕事が待っているから、疲れさせたくないと、蔦生は早めに、電車で香南を京都の旅館へ連れて行った。 こういう手配が本当にうまい夫で、任せておけばいい香南は、とても楽だった。
 











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