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―85―
とっぴなことを言われても、蔦生は驚かず、じっと香南に目を据えていた。
やがて唇が動き、低い声が漏れた。
「『古代人』に戻ってる? そうだろうな、寝起きだから」
「え?」
香南のぼんやりした問いかけに、蔦生は笑顔になって、目の上にかかった髪の毛をうざそうに払いのけた。
「古代人。 中学から高校にかけて、ずっとそう呼ばれてた。 野性的で、表情が顔に出ないからだって」
野性的……。
だが、野蛮ではない。 精悍でしかも端正な、謎めいた表情は、確かに古代戦士を連想させるものだった。
「もてたでしょう?」
自分でも思いがけない言葉が、口をついて出た。 一瞬蔦生の視線が泳いだので、図星だったとわかった。
「いや、そんなことは……」
「ぜったい人気あったはずよ。 蔭人気」
「なに?」
「裏人気ともいう。 表ではちやほやされないけど、実はクラスで一番憧れられてるタイプ」
「憧れって……ありえない」
「本人が知らないだけでしょ?」
香南は枕を抱えて、ベッドの上に座り込んだ。
「いやそうじゃないな。 わかってるんだ」
蔦生が窓から戻ってきて、香南の傍へ横倒しになった。
「何を言う」
「自覚してるから、わざとダサくしてるんだ? 不思議だったのよ。 いつもの頭、似合わないもの。 服も年より地味だし、やっぱ微妙に合わないもの着てるし」
蔦生は体を返して、香南の膝に頭を載せた。
数秒、間を置いた後、彼はぽつぽつと説明した。
「もてるかどうかは相手による。 ただ、格好つけてると言われたことはある。 男に。
歩き方とか、なんかあるんだろ? 自分じゃわからないが。 見えないものな、本人が一番。
だから、あまり目つけられないようにしてるんだ。 男のライバル心は、けっこう怖い。 見かけなんかで足引っ張られたくないじゃないか」
香南は、膝枕で目を閉じている夫の額を、暖かい手でそっと撫でた。
「あらゆる方向に気遣わなきゃいけないのね」
「僕の立場だと、横と上は全方向が敵だったから」
香南は上半身を倒して、蔦生の口にクロスするように唇を重ねた。 すぐに彼も情熱的にキスを返した。
最初に胸を離したのは、香南のほうだった。
「遅刻するよ〜」
蔦生は構わず、腕で香南を引いて、首筋に顔をすり寄せた。
「あと五分」
「このまま寝ちゃったら、大遅刻よ〜」
うん、とも、ふん、とも聞こえる唸り声を発すると、蔦生はしぶしぶ体を起こした。
「あー、髪がくしゃくしゃだ」
「ブラシですぐ戻るよ」
「くしゃくしゃのほうが、いい男、なんだね」
蔦生は苦笑いして、再び小さな浴室に消えた。
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