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―83―
突発的にひらめいた結婚とはとても思えない用意の良さで、蔦生は次々と書類を出してきた。
彼の口座の一つから家計費を出すことにして、香南用のクレジットカードを新しく発行すること、二人がそれぞれ入る生命保険、アパートの名義替え、などなど。
あちこちに署名させられて、香南は次第に頭がぼんやりしてきた。
「なんか……すごいね」
「手続きだろ? うん、結婚するって結構面倒くさいんだ」
経験者は語る、か。
香南は、事務に強い夫のきりっとした横顔を眺め、頼もしいけれど、どこか遠い別の人みたいな感じがするな、と思ってしまった。
カードが発効するまでこっち使って、と、封筒をポンと渡された。 あまり分厚いので、香南は戸惑い、中を覗きもしないでテーブルの引き出しにすべりこませた。
「……家計簿、買ってこなきゃ」
「ちゃんとつけるのか? 偉いな」
からかっているのかどうかよくわからない表情で、蔦生は微笑んだ。 香南はむきになって立ち上がり、戸棚からかわいい表紙のノートを取ってきた。
「ほら見て。 家を出てこっちで暮らし始めてから、ずっと書いてるんだ。 大ざっぱだけど四つに分けて、食費でしょ? 家賃と光熱費でしょ? 仕事用の服代と交通費で、ここが雑費」
ページをめくっている内に、蔦生は真面目な顔になった。
「君こそすごいな。 この収入で、六十万も貯金してるのか」
「だって一人暮らしだから、病気になったら全部自分で出さなきゃならないもの」
蔦生は低く唸り、さっき香南が隠した封筒を引出しから取り出して、逆さに振った。
帯で巻いた万札が三つも転がり出てきたので、香南は思わず瞬きした。
「うわっ」
「今のところ、一つにしておこう。 君ならきっと貯金しに行く。 すごくいい態度なんだけど、急に大金を入れたら怪しまれて、贈与税を取られちゃうから」
気が抜けたように頷く香南の頬を、蔦生は指で優しく押した。
「当たりだなぁ。 大当たり」
「え?」
「君さ。 親が生きてたら、絶対言うよ。 若いのにしっかりした、いい嫁さん見つけたって」
「じゃ、このままがいいの?」
もろ庶民なんだけど、と言いかけた香南を、筋肉質の腕が抱き寄せた。
「もちろん。 ずっと今のままでいてくれ。 会社も家庭も、無駄な経費を減らしてめりはりのある使い方をするから成功するんだ。 君の場合はむしろ……」
少し考えた後、蔦生は提案した。
「小遣いの額を決めて、その中なら何買ってもいいことにしたほうが、使いやすいんじゃないか? ええと、とりあえず月五十万でどう?」
私の二ヶ月分の稼ぎを超えてるじゃん……!
香南は思わず前のめりになった。
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