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表紙

crimson sunrise
―80―


   満腹になった後、蔦生はクッションを抱えて、低いカウチの上で気持ちよさそうに横たわった。
「夢みたいなの、なかった? 彫金やりたいとか、飛行機免許取りたいとかさ」
 飛行機〜? めっさ金のかかりそうな趣味だ。 ああ、でも……香南は一つ、時間と小金ができたらやってみたいことを思い出した。
「スキューバダイビングは、ちょっと習いたかった」
「あれは、一人じゃだめ」
 香南は驚いた。
「え?」
 蔦生は寝返りを打って腹ばいになり、頬杖をついて、丸い座椅子に座っている香南の顔を見上げた。
「だいたい、いい男のインストラクターがついてるんだよ。 それが売りなんだ」
 もしかして、焼餅?
 なんか嬉しくなって、香南は座椅子から身を乗り出すと、夫の背中に覆いかぶさった。
「そんなこと気にするの?」
「しないか、普通?」
「じゃ、二人で行こうよ。 行矢さんの休みが取れたとき」
 微妙な間が開いた。
 それから、蔦生は香南の胴に腕を回して、脇に抱き寄せた。
「実は、潜水はできる。 普通のよりグレードの高いやつだ。 免許も持ってる」
「へえ、凄いね」
「計画してたことがあるんだ。 若いとき」
「何を?」
 また一瞬、答えまで時間があった。
「完全犯罪」


 香南の背筋が、不意に固まった。
 彼の仄めかしていることは、すぐピンときた。 彼は復讐をしようとしたのだ。 すべてを奪った蔦生秀紀に。
 香南はおびえた。 人殺しをしようとした蔦生にではなく、またその計画が頭をもたげて、彼を犯罪者にしてしまうことに。
 しゃにむに蔦生の首に手を巻いて、香南は懸命に囁いた。
「もうそんなこと考えないよね? これからは一人じゃないもの。 結婚したんだから。 できるだけ何でも話し合って、心の休まる家にしよう。 行矢さんとなら、そうできる。 私、信じてるから」
 頬に触れている、わずかに髭の伸びかけた蔦生の顎が、ゆっくりと動いた。 微笑んだのだと、香南にはわかった。
「人を信じるのは、結構大変だよ。 だが、信じると言ってくれると嬉しいよ。 香南が傍にいると、ほっとする。 とても」
 少しずつ、蔦生の声が不明瞭になってきた。 眠りに落ちる前ぶれだ。
「ねえ」
 香南は、大きな夫をちょっと揺さぶった。
「食べてすぐ寝ると、牛になるよ〜」
「ええ?」
 蔦生は片目だけ開けて、口元をほころばせた。
「よく知ってるな、そんな古い言い伝え」
「行矢さんだって知ってるじゃない」
「うん……」
 その相槌に、大あくびが続いた。 蔦生は再び目をつぶり、本格的に寝てしまった。









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