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表紙

crimson sunrise
―79―


   もう妻になったんだから、少しぐらい立ち入ってもいいだろう。 香南は小声で訊いてみた。
「子供は?」
「篤美が欲しがらなかった」
 蔦生はさらりと言った。
「三十五を過ぎたら一人ぐらい産むかな〜なんて言ってたが、そこまで行かなかった」
「そう……」
「二十七で死んだからね」


 ずいぶん短い一生だ。 事故と聞いたが、どんな最後だったのだろう。
 そこまで訊くのは行き過ぎかなぁと、香南がためらっている内、蔦生は時計を見て車のドアを開けた。
「もう行かなくちゃ。 こっちへできるだけ早く帰ってくるけど、なんか夜に食べたい物ある?」
「天ぷら」
 我ながら、どこから出てきたのかわからないほど早く思いついて、香南は答えた。 蔦生は愉快そうに頷き、すっと運転席にすべり込んだ。
「いいの買ってくるよ。 じゃ、戸締り気をつけて」
「はい」
 車がブローッと音を立てて出ていくのを、香南はいかにも新婚の奥さんらしい気分で見送った。


 のんびりと二階の部屋に上がってから、気がついた。 派遣会社に何て言おう。
 あの会社は、どうも秀紀と連絡がつながっているような感じだ。 二人だけでひっそりやった入籍を、蔦生さん、じゃない、行矢さんがいつ発表するつもりなのか、それがわからないと、うっかりしたことは言えなかった。
 ちょっと迷った末、今日一日は放っておくことにした。 トライアルをキャンセルした後で、普通なら次の仕事を探すのだが、数日空けたって特に不審がられることはないだろう。




 蔦生は、七時過ぎに帰ってきた。 両手に立派な折り詰めをぶらさげていた。 新橋の有名どころで作ってもらったそうで、ぱりっとした薄い衣に、見たこともないほどデカい海老がドーンと入っていた。
「こんなの大使館のパーティーでも出てこなかった」
「大使館のパーティー?」
「うん、コンパニオンで一度行ったことがあるの」
「あれは危険だ。 やめときな。 そうだ、仕事どうする?」
「ええと」
 香南はためらった。
「派遣は止めようと思うんだけど」
「そのほうがいい」
 後に蔦生は付け加えた。
「やりたいことがあったら、そっちやったほうがいいよ」
 やりたいこと? 香南はとっさに意味が掴めなくて、目をパチパチさせた。









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