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―74―
驚いたことに、この忙しい中、蔦生は婚姻届に必要な二人の保証人の署名を確保していた。
そのうちの一人は、彼が応援に行ったというプロレスラーで、もう一人は、香南が診てもらった久山医師だった。 正装のネクタイを緩めて、香南に書類を広げて見せながら、蔦生は笑った。
「久山にさんざん言われたよ、やっぱり本気だったんじゃないかって。 あいつの目だけはごまかせないな」
香南は気恥ずかしくなって頬を染めた。 だが同時に、ぴんと来るものがあった。 やっぱり本気だって? そうからかわれたのは、本気じゃないと前に言ったことがあるからだ……。
心にささった小さな棘〔とげ〕は、あつあつのお吸い物を作って、上等な折り詰めを食べているうちに、記憶から消えた。 蔦生は上着も取って手を洗ってからクッションに座りこみ、詰め合わせに入っていた卵焼きを香南のコハダと取り替えさせようと企んだ。
「甘いのダメなんだよ。 こっちのイカもつけるからさ」
「コハダはバツ。 私も好きなの。 じゃ、このウニ食べて。 めっちゃおいしいけど、三つは食べきれない」
わいわい騒ぎながら食べると、いっそう食欲が増した。
食事が終わって、蔦生はいったん一階にある自分の部屋に行った。 その間に、香南は届けの用紙を広げ、隅から隅まで慎重に目を通してから、書き入れた。 ちょっぴり緊張して、字が二箇所ほど波打った。
やがてドアが軽くノックされた。 香南は急いで立ち上がり、ロックを外して蔦生を入れた。
二十分ほどの間に、彼は風呂を済ませ、スウェットの上下に着替えていた。 ブローしたばかりの髪がいい具合に乱れて、気持ちのいいシャンプーの匂いがした。
小さな玄関を抜けてDKに入ったとたん、蔦生の視線がテーブルを捉えた。
「もう書いたんだ?」
「うん。 抜けはないと思うけど」
香南が見せると、蔦生は慎重に目を通し、うなずいて封筒に収めた。
「出しに行こうな、明日」
香南は驚いた。
「明日? 日曜日だよ?」
「年中無休。 大晦日でも正月でも受け付けるんだって」
「そうなの?」
すぐ入籍したがってる。 香南は嬉しくなって、蔦生の肘に腕をからめた。
「何時に行く?」
香南の頭に頬を載せて、彼は低く答えた。
「何時でもいいよ。 明日は完全フリーだ」
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