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―73―
香南がアパートに戻って半時間ほど経ったとき、蔦生から電話があった。
「やっと予定消化! 今どこ?」
「ああ、今日も仕事行かなくて、アパートにいる」
「そう!」
蔦生の声が弾んだ。
「どこかで働いてたら、迎えに行こうと思ってたんだ。 じゃ、まっすぐ帰るね。 おっと」
小さな叫びになったので、香南はぎょっとした。
「車の中? 事故らないでね」
「いや、そうじゃなくて」
彼の声が、更に明るさを増した。
「寿司屋の看板が目に入ったもんだから。 買っていって、二人で食べる?」
なんて優しいんだろう。 昨日からの出来事で感情がもろくなっていた香南は、涙ぐみそうになった。
「ありがとう。 お吸い物作って、待ってるね」
「お吸い物か」
意外にも、蔦生は感動したようだった。
「そういうこと、長い間言ってもらったことがないな」
「大したもの作れないよ。 インスタントに玉子入れるだけ」
あわてて香南が付け加えると、蔦生は低く笑った。
「充分うまそうだ。 じゃ、できるだけ早く帰るから」
「うん、運転気をつけてね」
そっと電話を置きながら、香南は考えた。 故郷にいたときは、母の手伝いで料理の下ごしらえをしていた。 一人住まいだと、少しだけ作るのが面倒で、つい外食や即席料理に頼ってしまうが、またちょっとずつ練習して、勘を取り戻すか。
なんか、奥さんぽくなってきたな、と思うと、胸が妙な具合にどきどきした。 これから、家庭を作るんだ。 蔦生さんと私で、力を合わせて。
その考えは、甘く夢見るようなうずきを伴っていた。
蔦生は、八時前にアパートの駐車場へ車を乗り入れた。
音で気づいた香南は、窓から覗いて確かめてから、小走りでドアに近づいた。 すぐに階段を上ってくる靴音がして、チャイムが鳴った。
「おかえりなさい!」
その言葉と共にドアを開いた。 間髪を入れず、香南は夜気の匂いのする蔦生の腕に、すっぽり包まれていた。
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