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表紙

crimson sunrise
―71―


   翌日は、長期バイトのトライアル初日だ。
 話をもらったときから楽しみにしていたのに、今は気が進まなかった。 僅かな間に、事情がすっかり変わってしまったからだ。 見栄を張るつもりはないが、大会社の社長と結婚した後も、アンテナショップの店員兼調査係を続けるわけにはいかないだろう。
 蔦生との電話が終わった後、香南は一息置いてから、紹介所にかけた。 そして、体調不良で明日の仕事には行けないと断った。
 口実は嘘だが、気分がすぐれないのは事実だった。 こんなに人を好きになったのは初めてなのに、実は彼の本命に似ているだけの『ダミー』なんて言われて、嬉しいわけがない。 秀紀渾身の嫌がらせだとわかっていても、ひとりでポツンと部屋に座っていると、落ち込むばかりだった。


 できたら、仕事の友達に相談したかった。 結婚話の相手が、あんなに大物じゃなかったら、とっくに打ち明けていただろう。
 次に話したいのは親だが、家を飛び出したときの事情があるだけに、一段と難しかった。
 途方に暮れて、香南は白い天井を見上げた。 そして呟いた。
「まじヤバかねぇ、この状況は」


 そのうち、グッと下がっていたテンションの反動が来た。 突然、自分でももてあますほどハイになって、エビ・帆立・サラミのピザ丸一枚と、ヨーグルトケーキをワンホール注文してしまった。




 山のような食べ残りを冷蔵庫に押し込んだ後、香南は服を着替えずに寝た。
 仕事が休みとなると、とたんにルーズになった。 翌朝は九時に悠々と起きて、昨夜のケーキをつまみながら、すぐ決断した。
 午後になったら、普段の格好のまま、赤坂へ行ってみよう。 駅から数分のところに、秀紀の結婚会場となるSホテルがあるはずだ。
 付近をさりげなくうろうろしていれば、花嫁の顔ぐらい、見られるだろう。


 そう決心したとき、香南は一つの可能性に気づいていなかった。
 秀紀が部下や愛人を使った後、自ら乗り出してきたのは、それだけ事が大きくなってきたからだ。
 彼は、蔦生が香南と結ばれたのを、すぐに知った。 二人を監視させているからだ。 昼だけでなく夜も調査員を貼り付けているのだろう。
 香南がアパートを出て結婚式を見に行けば、秀紀の耳に筒抜けになるはずだった。
 








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