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表紙

crimson sunrise
―67―


   レギンス・タイプのパンツとオーバーブラウスを身につけ、普段使いのキャンバスのバッグを肩からぶら下げて、香南はいそいそとドアを出た。
 さっきまで降っていた小ぬか雨は、もう止んでいた。 しかし、低く空を覆った雲は、元のままだ。 だから、香南はバッグに小さな折り畳み傘を入れた。


 平日の昼で、おまけに天気がはっきりしないため、アパートのある横道には人っ子一人通っていなかった。
 昼間の住宅街は、そんなものだ。 全然気にせずに、香南はアパートの門を出て、数歩足を進めた。
 背後から、車の音が近づいてきた。 そのとき、香南は体をねじって、右横に下げたバッグの口を開けて覗いていた。 朝から気分がフワフワなので、ひょっとして財布を忘れたのではないかと心配になったのだ。
 そっちのほうに意識が行っていて、横で車が速度を落としたのに気づかなかった。
 財布は、ちゃんと入っていた。 ほっとした香南が、また勢いよく歩き出そうとしたとき、ようやく車の妙な動きがわかった。 香南に寄り添うように、のろのろと運転しているのだった。
 運転者と香南の目が合った。 なかなかの美形で、睫毛がびっくりするほど長かった。
 香南の視線を捕らえると、男は口元をゆるめ、少し頭を揺らして挨拶した。 とたんに香南は悟った。
 紹介されたわけではないし、写真も見せてもらってない。 だが、この男は蔦生秀紀だ。 そうに違いない!


 しまった! と、すぐ思った。 用心が足りなかった。 だがまさか、真昼間に張本人が堂々と姿を見せるとは、あまりにも意外だった。
 素早く香南は首を回して、男の乗っている斬新なデザインの外国車が進入できない路地を視野に入れた。 いくら細い道でも行き止まりでは意味がないが、その道は斜めに折れて、大通りにつながっていた。
 身をかがめて走り出そうとした香南を、男が呼び止めた。
「里口さん、話を聞いたほうがいいよ。 自分が不幸にならないために」


 その口調には、脅迫めいたところも、からかうような響きもなかった。 それで、香南は思わず振り向いた。
「あなた、だれ?」
 男は、窓をあけて真面目な顔で見つめていたが、その質問にゆっくり眉毛を上げた。
「知ってるんじゃないの? まあいいか、自己紹介するよ。 蔦生秀紀といって、君の知ってる蔦生の義理の弟だ」


 やっぱり。
 用心して、手の届かない範囲に離れたまま、香南は小声で尋ねた。
「私に何か?」
「確かめておきたくてね」
 そう言うと、秀紀は車窓に腕を置いて、しげしげと香南の顔を観察した。
「君は、あいつに好かれてると思うかい?」
 香南は顔を強ばらせた。
「あなたに関係ない」
「なくはないけど、まあいい。 そういうことじゃなく、もし誰かの身代わりにされてるだけだったら、どう思う?」






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