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表紙

crimson sunrise
―63―


 かすかに震える左手を上げて、蔦生は強くこめかみを揉んだ。
「まだ裁判は結審していなかった。 僕は警察へ訴えたが、事件からの時間経過が長すぎて証言能力不十分とかで、取り合ってもらえなかった。
 思い出すのが遅すぎたんだ」
「蔦生さんのせいじゃない」
 反射的に、香南は口走っていた。
 彼がいたましくて、たまらなかった。 瞬間の出来事で、それまでの幸福な生活をすべて失ってしまった少年に、良心の呵責まで背負わせるとは……! 世の中は何と理不尽なのだろう。
 蔦生は床に目を落とし、単調な声で続けた。
「僕が弱いからだと思った。 まだ学生で、社会的立場もない。 強くなろうと決めた。 できることは何でもやって、真犯人に思い知らせてやろうと。
 蔦生のおやじさんは、裁判所で会ったとき、何か感じたらしい。 さすが大企業のオーナーで、僕を暴発させるよりなだめたほうが得策だと考えた。 こっちも安田の被害者みたいなものなんだから、とか何とか言って、病院や保険金の手続きを代わりにやってくれた。 家に招待までしてくれたよ。 息子は甘やかされてるが悪党じゃない、自分で確かめてくれと言って」
 蔦生は、その誘いに乗った。 自分から敵の懐に飛び込んだのだ。 持ち前の冷静で緻密な頭脳で、どうやったら相手に最大の打撃を与えられるか、計画を練ったのだろう。
 香南には、言われなくてもわかった。 蔦生にはそれだけの能力とパワーがある。 しかも、その力をうまく隠す業さえ身につけているのだ。
「初めから、乗っ取るつもりだった?」
 香南の問いに、蔦生はかすかな笑みを浮かべた。
「いや。 だんだんそっちの方へ行ってしまったというのが本当だな。
 後で気づいた秀紀に、シロアリ野郎と言われたが、確かにそんな状況だった」
 わずかずつ少しずつ、彼は権力構造の屋台骨を侵食していった。 だがシロアリと違うのは、会社を壊すどころか強くして信頼を得たことだ。
 蔦生の『おやじさん』も、もしかしたら彼の平和的な復讐を黙認していたのかもしれない。 バカ息子より、賢い娘婿だ。
 香南は静かな溜息をつき、更に深く蔦生に寄りかかった。
「それで、秀紀って人の身代わりになった安田さんは?」
 密着した蔦生の肩で、筋肉が動いた。
「一年と七ヶ月で刑務所から出てきたよ。 初犯だし反省してるってことで。 出てすぐマンションを買って、遊び暮らしてる。 もともと秀紀の悪仲間だったからな」
 三人の命の代償が、刑期一年七ヶ月。 おまけに真犯人は、その刑さえ受けなかった。
 当事者でない香南でさえ、喚きたくなるほど腹が立った。






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