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表紙

crimson sunrise
―60―


 蔦生は、小さなキッチンコーナーでベーコンエッグを焼いているところだった。 香南は急いで、ベッドの脇に彼が出しておいてくれた薄手のジーンズとシャツに着替えた。 予想した通りやたらに大きいので、ズボンの裾とシャツの袖をたっぷり折り返した。


 寝室を出ていくと、来客用の大きなテーブルに皿を並べていた蔦生が、笑顔で振り返った。
「不思議な可愛さがあるな、その格好」
「帰るときはまた着替えるから」
 香南が照れて言うと、蔦生は、焼けたトーストを取りに行こうとしていた足を、ふと止めた。
 振り向いた顔は、真剣になっていた。 眼に強い光を帯びたその顔は、普段から想像できないほど華やかに変化していた。
「昨夜、何度も考えたんだ」
 香南は、彼の眼から視線を外せなかった。 磁力で吸い寄せるように、彼は香南を強烈に引きつけていた。
「もうやることはやった。 後はもう自分の好きなように生きていいんじゃないかって」
 香南は黙っていた。 彼にとって、そして自分自身にとって、重大なことが起こり始めているのをぼんやりと悟り、体中がぎゅっと引き絞られるほど緊張していた。
 蔦生は、無意識に両の拳を固く握った。 喉が痙攣しそうになったのを、危うく押さえた。 様々な試練をくぐり抜けてきたが、こんなに固くなったのは初めてではないかと思うほど上がっていた。
「一回りぐらい年が離れてるが、話は合うと思うんだ。 僕はたぶん、そんなに手のかかるほうじゃないし。 だから、その」
 単語が思い出せない。 蔦生は焦った。
「届けを……そうだ、籍入れに行こう」


 届け? 籍?
 香南は瞬きを忘れ、眼が乾いてしまった。
 言われてみて、まったく予想していなかったのがわかった。 不思議なほど、彼との未来図は頭に浮かばなかった。
 口を開こうとしたが、唇がひっついていて動かない。 驚きのあまり水分補給が止まったのは、眼だけではなかったようだ。
 ようやく唇を引きはがすと、香南はかなり弱々しい声で訊いた。
「今から?」


 その瞬間、蔦生の顔がスポットライトを浴びたように輝いた。 香南は目を見張って、彼に見とれた。
 すごく綺麗だ、この人……
 ぼんやり感心しているうちに、蔦生が寄ってきて、両手で香南の顔を優しく挟んだ。
「いいね。 でもその前に、君のご両親に承諾してもらうのが筋だと思う」






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