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表紙

crimson sunrise
―40―


 その後、蔦生はアパートまで香南を送ったが、泊まりはせず、自宅へ引き返していった。
 だから、ゆったりとバスで半身浴してから、ヘアブローしてベッドにポンと飛び込んだとき、香南は、恐れていた検査を無事パスしたという深い安心感と共に、今夜は蔦生が傍にいないという心細さを感じた。


 疲れているのに、どうも寝付かれない。 しばらく薄暗い天井を見つめているうちに、蔦生と初めて逢った、というか遭遇した朝のことを思い出した。
 彼は、飲むのが好きではないそうだ。 あの前夜に、付き合い酒でひどく眠くなり(もしかしたら、何か薬でも飲まされたのかもしれない)、もうろうとしてこのベッドに潜り込んで熟睡してしまった。
 仕組まれた出会いだったらしい。 それが、意外な交流を生んだ。 香南は、子供の頃に親が見ていた刑事ドラマを思い出し、蔦生が自分とデザートしに来るのは、あの中年刑事が仕事帰りに居酒屋へ立ち寄るのと同じ心境なんじゃないかと考えた。
──私は、あの飲み屋のおかみさんみたく美人じゃない。 でもたぶん、蔦生さんの癒しになってるんだ。 この部屋に来て、どうってことない話をして、甘い物をつまんで帰るのが──
 それは、香南にとっても居心地のいい環境だった。 日曜には、うっかり羽目を外してキスしてしまったが、無理に深い仲になりたいとは思わない。 つかず離れずで、このまま淡々と仲良くしていけたら、それが一番だ。
 少なくとも、香南は自分にそう信じさせたかった。


 とりとめなく連想しているうちに、意識が遠ざかり、目覚めたときはもう朝だった。
 香南は元気よく起き上がると、予定をしっかり確かめてから、バッグに必要な品を詰め込んだ。
 その木曜日は、ちょっと変わった仕事が入っていた。 新型小型消火器の実演販売だ。 女性や子供でも簡単に取り扱える、というのが売りなので、小柄であまり強そうに見えない女の子、という依頼があった。


 埠頭近くの広場で、プレハブのキッチンやダンボールの犬小屋みたいなミニハウスに火をつけ、盛んに消火液を噴射しているうちに、楽しくなってきた。 これはジェット噴射式水鉄砲のようで、大いにストレス解消になる。 普通サイズを二割ほど縮めた超小型なのも評判がよく、即売でけっこう売れた上、企業の備品として、まとまった数の注文が入った。


 主催者はご機嫌で、次の実演も香南と契約してくれた。 てきぱき動くのと、笑顔がよいそうだ。 帰り際に、ご褒美だと言って、消火器をおすそ分けしてもらった。


 でも、ニコニコ抱え込んだその消火器を、香南は家まで持って帰ることはできなかった。
 駅に通じるアーケードを歩いているとき、携帯が鳴った。 紹介所からで、明日の仕事の打ち合わせをしたいと言って、雇い主が近くの遊園地で待っていると連絡してきた。






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