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表紙

crimson sunrise
―31―


 丸いガラス屋根に両袖階段が豪華なガレリアを通り、蔦生は左に曲がった。
 木を多く使った落ち着いた店内は、半分ほど客がいた。 サラリーマンらしいグループに、子供連れの家族、老夫婦。 奥にはカップルも目についた。
 その夜は、暑くも寒くもなく、風はほとんど吹いていなかった。
「テラス席に行く?」
 ちょうど香南もそう考えていたところだったので、蔦生の提案に思わず笑みが浮かんだ。
「そうね。 行こう」


 店員の案内で、二人はかわいい丸テーブルに席を取った。 サラダ、カルボナーラ、ニョッキ、香南用のワインなどと共に、蔦生はジンジャーエールを頼んだ。 車で来ているし、もともと酒はあまり好きではないと、彼は香南に言った。
 料理が来るまでの間、香南は運河をゆっくり見渡して、黒く光る夜の水面と、遠くに赤い竜のように輝く屋形船の照明を楽しんだ。
「落ち着くね、ここ」
「後でガーデンのほうに行ってみるか。 せっかく来たんだから」
「そうね」
 なんかデートみたいだ。 そうではないと、頭ではわかっているが。
 フリーで販売の仕事をしていると、いろんなことがある。 支店長が送ってくれるというので、同僚と車に乗せてもらったら、その仲間がドライブインでいつの間にか消えて、あやうくモーテルに連れこまれそうになったことがあった。
 そのときは、痴漢用のベルを引いて撃退したが、二度とその店の系列には使ってもらえなくなった。 それだけでなく、陰湿なデマを言いふらされて、しばらく仕事が大幅に減った。
 また、愛人になれと持ちかけられたこともある。 最初はびっくりしたが、だんだん受け流せるようになった。 もちろん、そんな男ばかりじゃなく、普通に親切にしてくれる人のほうが多いし。
 だから、次第に目が肥えてきた。 これはヤバイな、と、気配でわかる。 そういう危険な雰囲気が、蔦生にはほとんど感じられなかった。
 彼にモヤモヤがないわけじゃない。 ただ、作用と反作用があるとすれば、お釣りが来るほど反作用が強いのだ。 何かが蔦生の行動を押さえつけていた。 それが自制心なのか、モラルなのか、それとも別に動機があるのか、香南には見当もつかなかった。


 カルボナーラを除いては、料理の量は少なめで、香南にとって食べやすかった。
 当り障りのない話題で、食事時間は楽しく過ぎた。
「でね、階段の横の塗装が剥げて、こないだ塗り直したの」
「ぶつかった自転車のほうは?」
「ハンドルが曲がって前籠が壊れたって。 乗せてたワンコが怪我しないでよかった」
「そういえば、あのアパート、動物可だったな」
「小型犬、猫、小鳥、ハムスターとか、小さい物を二匹以内ならね。 廊下や庭に下ろしちゃいけないの」
「生き物は責任が伴うからな」
 スパゲッティを平らげた後、蔦生はバーニャカウダを引き寄せた。
「十七の時に、飼うのを止めた」
「それまでは、何か飼ってたの?」
 のんびりしていた蔦生の頬に、ぴりっと痙攣が入った。
「ああ。 犬を」







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