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表紙

crimson sunrise
―17―


 だから、その月曜日も普通通り仕事に行った。 そして、気分が悪くなることなく、無事に戻ってきた。


 そうはいっても、一日ぐらいは用心したほうがいい。 香南は同僚と飲みに行くのを止め、駅前のパーラーでソフト・チーズケーキと苺ムースを買った。
 今夜は酒が入っていないから、まっすぐ歩けた。 アンテナ・ショップの店番が昼間の仕事だったので、座って休む時間がたっぷりあって、足は元気だ。 階段だって駆け上がれるぐらい余力が残っていた。
 部屋に入って鍵をかけ、身づくろいを済ませて紅茶を入れ、テーブルにケーキを並べ、さあ! と目を輝かせて座ったところで、玄関のチャイムが鳴った。


 餌の皿を前に、お預けをくった犬の気分で、香南はしぶしぶ立ち上がった。
 ドアの覗き穴に片目を当てると、蔦生の顔が魚眼レンズに映った。 妙なふうに拡大されても、なかなか整って見える。 目立つ顔立ちではないが結構ハンサムなんだ、と、香南は改めて気が付いた。
 彼なら安全だ。 もう香南はそう思っていた。 だからすぐドアを開いて、挨拶した。
「蔦生さん、昨日はありがとう。 なんか迷惑かけちゃって」
「いや。 今日は元気?」
「バリバリ」
「安心した」
 それから一呼吸置いて、彼は言った。
「古溝のやつ、ブラジル出向になったよ」
 口元が、ちょっと緩んだ。
「あいつ、暑いのが超苦手なんだ」
 蔦生を騙して部屋に入れた男の左遷を聞いて、香南はホッとすると同時に、いたずらっぽい顔つきになった。
「蔦生さんが手回したの?」
「まあね」
「蔦生さんて、社内の実力者?」
「どうかな」
 蔦生の表情が、ふと翳った。
「社員を降格処分に持っていったのは初めてだ。 古溝には自覚あるだろうけど、何か反動は来るかもな」
「会社は派閥に分かれてるの?」
 香南が訊くと、蔦生は小さく首を上下させた。
「はっきりくっきりと」
「やりにくいね」
「どうしようもなくね」
「中入って、チーズケーキ食べてく?」
 なりゆきで、香南は思わず彼を誘ってしまった。
 戸口に片手を当てて体を支えると、蔦生は平らな口調で、なんでもないように答えた。
「そうだな。 ご馳走になるか」






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