表紙目次文頭前頁次頁
表紙

crimson sunrise
―16―


 香南が小銭を出して、スカッシュ代を払おうとするのを、蔦生は苦笑して止めた。
「いいよ、おごり」
「ありがとう」
 素直に、香南は硬貨を財布に収めた。 変な出会い方をして、まだ二日しか経っていないが、蔦生に対する信用度は増してきていた。
「じゃあっと、もう自分んちに帰るね。 ご迷惑さまでした」
「お疲れ〜。 ほんとに君、疲れてるよ」
 真顔に戻って、蔦生は言った。 そして、ゆっくり外に出ていく香南を、心配そうに見守った。
 手すりを頼りに、香南は重くなった体を一歩一歩持ち上げるようにして、階段を上がった。 足裏の感覚が、どうも奇妙だ。 滑り止めのついたアルミの段板が、雲のようにフワフワしている。 ほんとにちゃんと踏んでいるのか心配になって、香南は足元を何度も見下ろした。
 そのうち、階段の下に蔦生が立っているのに気づいた。 体を曲げるのが辛いのを我慢して振り返ると、蔦生が笑顔を見せた。
「落ちてくるなよ。 いったい何飲んだんだ?」
 言葉は軽かったが、目は笑っていなかった。 よっぽどふらついて見えるんだな、と香南は思い、がんばって背筋を伸ばした。
「落ちない。 だいじょぶ。 おやすみー」
「ああ。 ゆっくりおやすみ」
 低い声が、暖かく背中を押した。




 翌日も仕事がある。 香南は目覚ましをセットして、ベッドに横たわった。 服を着替えるエネルギーがない。 肌が敏感なので、メイクだけは寝たままクレンジングで大まかに落とした。
 あとは明日の朝にやろう。 もし、ちゃんと起きられたら。
 それが心配だった。 こんなにぐったりしたことなんて、初めてだ。 もし蔦生さんがいてくれなかったら、今ごろは庭で気絶したまま、行き倒れていたんだろうか……
 いやだなー、と自己嫌悪に陥ったとたん、幸い意識がなくなった。




 翌朝、毛布に顔を突っ込んだまま目覚めたとき、香南が真っ先にやったのは、上に被ったものをはねのけて、天井をじっと見つめることだった。
 天井は、回っていなかった。 はっきりくっきり、縁まで見える。 用心しながら首を回したが、どこも痛まない。 いつもの朝以上に気分がよかった。
 何だ、平気じゃない。
 それでもまだ心配で、頭をできるだけ動かさないように、のそのそと起き上がった。 その後、小さなバスルームに入って全身を洗ったが、体調はいいままだった。






表紙 目次文頭前頁次頁

背景:ぐらん・ふくや・かふぇ/ボタン:May Fair Garden
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送