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―8―
「隣ね」
考え込む表情になって、蔦生は呟いた。 その横顔に、ほんの一瞬だが、場違いな明るさがひらめいた。
香南はびっくりして、そらそうとした視線を戻し、まじまじと見つめた。 だがその時にはもう、かすかな笑みは拭い去ったように消え、蔦生はすっかり真面目な顔に戻っていた。
「ともかく、今日の夜に鍵屋を連れてくるよ。 何時ごろ帰ってくる?」
香南はためらった。
「ほんとにいいから」
蔦生は小さく溜息をついた。
「よくないのはわかってるだろう? 守りの弱点は、一分でも早く潰しとかなきゃ」
これで、香南はムッとした。 元を正せば、侵入者は自分じゃないか。 なんだその偉そうなお説教口調は。
「そういうことは、貴方には言われたくない」
「ごめん」
思いがけない素直さで、蔦生は謝った。
「俺が間違えたせいで、君に引越しとか新しいアパート探しとか余計な負担をかけたくないんだ」
「確かに、引越しは嫌だけど」
しぶしぶ、香南は今日の予定を記憶から引っ張り出した。
「夜の九時半には帰れると思う」
「じゃ、またその時に」
ほっとした様子で、蔦生はコートを掴んだまま、七畳ほどのDKプラス玄関に出ていった。
香南は後をついていかず、代わりに窓辺へ急いで行って、外の共有階段を見張った。
間もなく、コートの袖に腕を通しながら蔦生が現れた。 階段に足をかける前、彼が首を回して振り向いたので、香南は慌ててカーテンの陰に引っ込んだ。
二秒ほど、蔦生は香南の部屋のドアを見つめていた。 それから、すべるような足取りで下りていき、いつも開いている庭門を抜けて、道路に姿を消した。
念のため、香南はしばらく窓に立って、男の姿が帰ってこないか確認した。
それから、大急ぎでベッドに戻り、布団を体に巻きつけて、巨大蓑虫のように丸まった。
まだ早朝の気温は十度ぐらいだ。 緊張がほぐれると、急に寒さが身にしみた。
「風邪引いたら、キミのせいだからね」
さっきまで男の大きな体が立っていた辺りを、香南は睨みつけた。
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