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―3―
とりあえず、音を立ててはいけないと、香南は自分に言い聞かせた。 それから、スローモーションのように腕を伸ばして、枕元の携帯電話をそっと取り上げ、室内履きの底をできるだけ床で擦らないようにしながら、トイレの方角に向かった。
ロックして身を守れるのは、トイレしかないからだ。
広くない寝室を横切る途中、椅子に薄手のコートが無造作に引っ掛けられているのが目に留まった。
黒っぽい布地はなめらかで、ちょっと見ただけで高価そうだとわかった。 今ベッドを我が物顔に占領している男は、たぶん金持ちなのだ。
金持ちが、こんな小さなアパートに何の用がある。 そこからして、理解できなかった。 こそこそ歩きながら、香南はすばやく窓とドアに目を走らせたが、窓には中から錠がかかっているし、室内ドアもきちんと閉まっていた。
トイレのノブに手が触れたときは、心底ホッとした。 そーっと、そーっと、と念じながら回しかけたとき、背後でカサカサッと布のこすれ合う音がして、男の声が聞こえた。
「おはよう、里口〔さとぐち〕さん」
アギャッ……
ノブを握った手が凍りついた。
声なんか無視して、そのまま飛び込んでドアを閉めてしまえばよかったのに、香南は反射的に振り向いた。
男は、ベッドに座っていた。 ビジネスシャツとスーツのズボン姿だが、まったく寝乱れていない。 掛け布団の上に置かれた揃いのジャケットを着れば、そのまま会社に行けそうだった。
ただ、頭だけはさすがにくしゃくしゃだった。 顔立ちが真面目なので、少し髪があっちこっち突き出ているぐらいのほうが、くだけた感じでハンサムに見えた。
妙に醒めた眼差しで、彼は香南をまっすぐ見据えると、言葉を続けた。
「失礼。 表札に苗字しか書いてなかったんで、男の部屋かと思ってた」
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