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表紙

 あの日あの時  39




 あまりびっくりしたので、エマはロディの胸につんのめりかけた。
「オークション? あれは夕方だったでしょう? 約束の汽車は、夜の二十一時三十五分発で……」
「ちがうよ! 十六時二十分だ! 塀にちゃんと書いたよ!」
 耳ががんがんしてきた。 そんな馬鹿な! 何度も確かめた。 あんな簡単な数字、見間違えるわけがない!
「二十一時三十五分よ!」
「いや、十六時二十分だった! その半時間前ぐらいに、君を迎えに行ったんだ。 あの書き込みを見ていなかったらいけないと思って。
 そこで、君がお父さんと外出するのを目にして、こっそりついていった。 そうしたら、君達はオークションの会場に入ってしまったんだ」
 言い返そうとして、エマは口を開いたが、周りの筋肉が妙なふうにしびれて、声が出なかった。
 不意に決まったオークション行き。 唐突だった。 そして、暗くなるまで、父はエマをそばから離そうとしなかった……
「僕は駅に引き返して、待った。 会場を抜け出して、きっと来てくれると思った。 でも君は……」
「ウィンプルさんだわ」
 意外な名前がエマの喉からこぼれた。 ロディは言葉を切って、目を見張った。
「ウィンプルって、確か君の家の家政婦の?」
「そう、彼女、父のスパイだったの」
 知っていたのに。 気付いていたのに、どうしてもっと用心しなかったんだろう。 エマは自分に愛想のつきる思いがした。
 震える両手で顔を覆って、エマはつぶやいた。
「ウィンプルさんが私たちの話を盗み聞きしていたんだわ。 そして、あなたが塀に書いた汽車の番号を書き換えてしまった」
「なんだって!」
 ロディの声が、唸りに近くなった。
「そうよ、それしか考えられない。 駆け落ちをぶち壊すために、父がウィンプルさんと考えた筋書きだったんだわ」
 エマは両手を顔から離し、涙で真っ赤になった眼でロディを見つめた。
「それであなたは、午後の汽車に乗ったの?」
 ロディの頭が小さく揺れた。
「ああ、乗った。 ロンドンまで独りぼっちで、誰とも口を聞かなかった」
 エマは、しばらく彼を見つめたままだった。
 それから、大きく笛のような息をついた。




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