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表紙

 あの日あの時  38




 後になって思ったのだが、その晩は二人とも確かにおかしかった。 偽手紙でおびき出されて殺されかけるという、とんでもないことが起きたにもかかわらず、警察に通報すべきだとは、しばらくの間考えつきもしなかった。
 固く抱き合ったまま、二人はじっと動きを止めた。 虫の声も、時おりそよぐ弱い風も、すべてが再会を祝福しているようで、お互いの存在を確かめ合いながら、瞼を閉じていた。

 やがて徐々に自分を取り戻してきたのは、エマのほうだった。 人は眠っている間に記憶を定着させるという。 このときのエマも、ぼうっとしている間にだんだんと、今夜の出来事を頭の中でつなぎ合わせ、疑問のとりこになり始めた。
 ロディの胸に手を置いて、エマはそっとしゃべり出した。
「あの手紙、今考えると不思議だわ。 私がここに来たのは今日が初めてなのよ。 あなたと私が昔の知り合いだったなんて、いったい誰が知っているの?」
「そうなんだ」
 もうその不可解な事実に気付いていたらしいロディが、重々しく応じた。
「もう一度誓って言うが、手紙の差出人は僕じゃない。 そんな度胸はなかった。 僕は君に忘れられてしまったと、ずっと思っていた。
 だから名前を出さずに、マーゴ・ウィンタースさんが招待した形にして、フランスへ連れてきてもらったんだ」
 エマの体に電気が走った。
――マーゴ? じゃ、パリへ来るよう誘ってくれたのは、ロディに頼まれたからだったの?――
「マーゴは事情を知っているのね。 私の気持ちも、たぶん察していたでしょうし。
 だとすると、あの手紙は、マーゴが書いて……? いえ、そんなの変だわ。 動機がない。 私が死んでも遺産はマーゴには行かないの。 孤児院に寄付することになっているのよ。 彼女もそのことを知っているわ」
「原因は金だろうか。 もっと別のことじゃないか?」
 別のこと…… その言葉で連想して、エマの背筋に、また嫌な感触がうごめいた。 父親と恋人を同じ夜に失った、七年前の事件。 あのとき、ロディはどう行動したのだろう。 真実は、いったいどこにあるのか!
 すべてがあの強盗殺人事件に端を発している気がして、マーゴはロディから体を離し、きちんと座りなおした。
「ロディ」
 夜風の中で、声が頼りなく揺れた。
「ずっと私に会いたかったのね?」
「そうだよ」
 低い囁きが戻ってきた。 エマは詰まりそうな喉を懸命に動かした。
「私も会いたかった。 あなたがダラント村に戻って来てくれるのを、ずっと待っていたわ。
 でも、戦争は終わったのにあなたは来なかった。 どうして?」
「どうしてって」
 ロディの胸が、破裂しそうにふくらんだ。
「君に振られたからさ。 駆け落ちを約束した日、君は駅に来てくれなかった。 約束の時間に、のんびりオークション会場にいたじゃないか!」




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