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表紙

 あの日あの時  27




 エマはすぐ向きを変えて、そっと引き返した。 盗み聞きは性に合わなかったし、幸せそうな恋人同士が苦痛でもあった。
 それでも、小道を戻る途中、目の端に捕らえた恋人たちの姿を何回か思い浮かべた。 ゆったりとした青いシャツを着た黒髪の青年と、ピンクのワンピースの袖をたくしあげた金髪の少女。 木陰で顔はよくわからなかったが、どちらも静かで、上品な感じがした。 キスも控えめで、初々しかった。
――いいなあ、若いって――
 ふとそんな感想が頭をよぎり、エマは苦笑した。 自分だってまだ二十代なのに、なんでおばさんみたいな気持ちになってるんだろう。


 一時間ほど歩き回って戻ってみると、マーゴが更紗のガウン姿でフランス窓に寄りかかって、コーヒーを飲んでいた。
「おかえり。 どっちへ行ったの?」
「森のほう」
 言葉少なに答えて、エマはテラスの椅子に腰かけ、靴を脱いで踵をさすった。
 マーゴは居間をぶらつきながら、午後の予定を話した。
「サンソンさんの別荘でお茶会があるのよ。 朝の散歩に行くぐらいだから、疲れは取れたわね。 一緒に行かない?」
 エマは戸惑った。
「でも私、サンソンさんって人知らないし」
「あら、堅苦しいこと言わないの。 もう戦後で、ここはパリなのよ。 招待客に顔見知りがいれば、どんどん入りこんじゃっていいの」

 一人で行くのはつまらない、と、マーゴはエマを押し切った。 アッシュが迎えに来るのだが、彼はものの数に入っていないらしい。 仕方なく、エマは満杯に詰まったトランクを開けて中身を引っくり返し、どうにか皺の少ないアフタヌーンドレスを見つけ出した。

 エマはおとなしく、縁の広い帽子とくるぶし丈のツーピースにしたが、年上のマーゴは大胆だった。 最新流行をアメリカから直輸入したかのような、ミニスカートにターバン、ロングネックレスという服装で表に出てきて、エマの目を丸くさせた。
「まあ……ふくらはぎどころか膝まで見えてるのね」
 マーゴは小さなバッグをくるくると振り回してご機嫌だった。
「いいでしょう! あなたにもオートクチュールの店を紹介してあげるわ」
「いいえ、私はいいの」
 エマは閉口して視線を逸らし、表の道路に止まったダイムラーに急いで乗りこんだ。




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