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表紙

 あの日あの時  22




 戦争は、難民と孤児を産む。
 終戦になる半年前から、エマは村はずれに新しくできた施設に通って、孤児たちの世話をするようになった。
 ツイードの服と頑丈な靴で、週に三回やって来て、オルガンを弾き、編物と絵を教え、遊び相手にもなってくれる人――子供たちは、エマをそういう人だと思った。 お姉さんとお母さんの中間といった存在で、はにかむような笑顔をたたえ、気持ちが穏やかで安心できる人だと。
 その静かな笑顔の奥に、どんな葛藤が隠されているか、気付いた子供はほとんどいなかった。

 それは、セント・ヴィクターズ孤児院の職員たちも同じことだった。 サリー州から派遣されてきた副院長のチャールズ・ケナーは、初めこそ財産家のエマに距離を置いていたが、次第に、彼女に寄せる気持ちを隠そうとしなくなった。
 エマにとっては困った事態だった。 周囲は良縁だと勧める。 チャールズはエマ同様古い家柄で、領地もそこそこあり、おまけにハンサムなのだ。
 エマは二十六歳になっていた。 当時では、適齢期にかろうじて引っかかっている状態だ。 村の有力者が何人か機会を作って、ふたりをさりげなく結びつけようとした。

 もしあのまま何事も起きなければ、チャールズの妻になっていただろうか。 後で何度か思い返してみても、結論は出なかった。
 しかし、運命は別の方角にエマを押し流した。


 戦争が終わって四年目の初夏、ガーランド家のポストに、外国からの郵便が入っていた。
 家政婦のウィンプルから手渡されたエマは、差出人を見て眉をひそめた。
「マーゴ・ウィンターズ?」
 それは、旧姓に戻った義母のマーゴからの手紙だった。 筆まめとは言えない彼女にしては、手に取った感覚が分厚い。 奇妙な落ち着かない気持ちで、エマは鋏を取り、丁寧に封筒の縁を切った。

『懐かしいエマ、久しぶりにお便りします。
 私はロンドンを引き払ったわ。 今パリにいるの。 ここは本物の国際都市ね。 黒人から東洋人まであらゆる人種が街をそぞろ歩いている上に、いろんな催し物が毎日開かれていて、目まぐるしいほどよ。
 ドルースさんがそっちへ疎開していたんですってね。 アビーに聞いたんだけど、あなたはまだ独身で、奉仕活動に打ち込んでいるんですって?
 悪いとは言わないわ。 でも、いい加減およしなさい。 二十代の乙女のやることじゃないでしょう?
 小さなブリテン島の、そのまた小さなダラント村だけで一生を終わるなんて、宝のもちぐされよ。 ぜひパリにいらっしゃい。 心から歓迎するわ。 カレーまで迎えに行くから、何の心配もしないでいいのよ。
 こちらには、ドルースさん一家もよく来るの。 他にも知り合いが何人か。
 そうそう、あなたが一時熱をあげていた人を見かけたわ。 ロディ・ソーンだったわね、たしか? 昔は学生風だったけど、今はアメリカ人の秘書をしているらしくて、見違えるように立派になっていたわ。
 あなたもそうなるべきよ。 田舎に埋もれていないで、ぱっと花開いて。
 勝手だけど、船の切符を同封したわ。 日取りの都合が悪ければ取り替えられるはずよ。 くすんでないで、ぜひ来て! 首を長くして待ってるわ。
          
あなたのマーゴより』






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