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表紙

 あの日あの時  20




 世の中は揺れ動いていた。 それまで志願制度だった兵制が徴兵制となり、家の跡継ぎや長男でない限り、若い男子は次々に入隊して、陸軍へ、海軍へと故郷を後にしていった。

 エマの村でも、出征兵士の見送りが続いた。 普段は眠ったような土地柄だから、強盗があれば半年は語り継がれただろうが、みんな戦争の話で塗りつぶされて、すぐに話題から消えてなくなった。


 ロディを心に刻み、待っているのは、エマだけだった。 あまり彼のことばかり考えていたため、父の遺言が公開される日さえ忘れていた。
 しかし、マーゴはしっかり覚えていた。 弁護士のトムリンソンがやってきて、扇の間で遺書を開くのを、マーゴは従兄弟のアッシュと並んでハンカチを握りしめ、緊張して待ち受けた。
 隣りに座ったエマは、ぼんやり床に目を落としていた。 真っ先に自分の名前が出て、屋敷のすべてと土地の四分の三を受け継ぐことを聞かされても、初めはピンと来なかった。
 横でマーゴが体を動かし、悔しそうに呟いた。
「言ったてしょう? あなたが一番愛されてるって」

 マーゴに残されたのは、現金二万ポンドと豊かな牧草地だった。 どちらも相当な価値があったが、妻としてマーゴは面白くなかったらしく、すぐに荷造りを始めた。
「ここはもう、あなた一人の家ですものね」
「そんなこと言わないで。 私が遺産を余分に残してくれと父に頼んだわけじゃないわ」
「それはわかってるわよ」
 マーゴは少し優しくなり、出発時にはエマをぎゅっと抱いて別れを惜しんだ。
「まずロンドンに出て、ホテル住まいしながら身の降り方をじっくり考えるわ。 いつか外国に行ってみたいわね。 フランス軍はマルヌで敵を撃退したっていうから、戦争はすぐに終わるでしょうし」
「でも、ドイツ軍はあっという間にパリへ攻め上がるほど勢いがあるのよ。 そんなに簡単に片がつくかしら」
「大丈夫よ! わが優秀な海軍があるじゃない」
 五つものトランクを馬車に積みあげて、マーゴは意気揚揚と旅立っていった。 顔にヴェールを垂らし、喪服をまとっていなかったら、とても未亡人とは思えない元気のよさだった。


 九月になって、エマはとうとう行動を起こした。 電話交換区域の異なる隣町まで出かけて、そこからロンドンに電話をしたのだ。
 相手は、ロディの勤務先である叔父の会社だった。 まず交換手に社名を告げて電話番号を調べてもらった後、エマは胸をとどろかせながら繋がるのを待った。
 電話に出たのは、気取った声の女性だった。 人事部長の秘書だというその声は、鼻にかかった発音で、こう答えた。
「ロデリック・ソーンは確かにうちの新入社員ですが、八月末に入隊いたしました。 たしか海軍ですが、配属先まではわかりません」

 礼を言って受話器を置いたとき、エマの指先は冷たく凍えていた。 季節はまだ初秋で、気温も二十度を上回っていたのだが。





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