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表紙

 あの日あの時  16




 じりじりと、時は過ぎた。 やがて、夜目にも白い煙を盛大に吐きながら、機関車がホームに入ってきた。
 ロディの姿は、まだ見えなかった。 次第に高まっていく不安をこらえて、エマは止まった列車に乗り込み、端から端までゆっくり通り抜けてみた。 用心したロディが、一駅前から乗っているかもしれないと思ったのだ。
 だが、最後尾まで行って、また念入りに探しながら戻っても、ロディは見つからない。 乗車していないのは確実となった。

 途方に暮れて、エマはひとまず汽車を降りた。 そして、発車時刻ぎりぎりまでホームにたたずみ、あちこち見回して、恋人を待った。
 やがて駅長がホームの真ん中に進み出て、旗を振った。 同時に汽笛が鳴り響き、機関車はゆっくりとすべり出した。
 まだ間に合う――瞬きもせず、エマは駅の入口を見つめ続けた。 今ロディが駆け込んできてくれれば、ドアを引き開けて飛び乗ることができる。
――ロディ! 来て!――
 心の叫びが口からあふれそうになったとき、列車は急に勢いづいてスピードを増し、ゆるいカーブを曲がって、暗い平野に吸いこまれていった。


 気がつくと、隣りに駅長が立っていた。
「お父さんたち、間に合わなかったね」
 口も眼も乾いていた。 それでもまだ、なんとか言いつくろう気持ちは残っていた。
「急だったから。 引き返して、確かめてみます」
 それから、万一の望みを託して、駅長の長い顔を見つめた。
「もう今晩は、ロンドン行きの汽車はないですね?」
 駅長は二度、縦に首を振ってみせた。
「残念ながら。 明日の朝八時二十分発車のやつが、一番近い便だね」
「そうですか……」
 明日なんかどうでもよかった。 大切なのは今、この夜だけだ。
 エマは駅を出ると、まっしぐらにロディの下宿先へ向かった。 だが、彼の借りていた離れは鎧戸が閉ざされ、ドアには外から閂がかかっていた。 もう誰も住んでいないことは、一目でわかった。
――ロディは出発したんだ。 でも、さっきの列車じゃない。 そう書いてあったのに。 確かに21:35って……!――
 頭がごちゃごちゃになって来た。 まるで誰かに思い切り揺すぶられたように。
 よろめく体を立て直して、エマは向きを変え、家に向かった。 もう一度、塀に書かれた時刻を確かめたかった。 まさかとは思うが、ひょっとすると、見間違えたのかもしれない。 あのときは急いでいたから。 もし、もし万が一、数字を勘違いしていたのだったら……!
「どうしよう!」
 無意識に声が出た。 エマは再び方向を変え、歩いたり走ったりしながら、十分ちょっとで緩やかな坂道を登って、自宅の裏門にたどり着いた。

 裏口に門灯はない。 いったん木戸から入って、台所でマッチを見つけようとしていると、突然、家の奥から異様な悲鳴が聞こえた。





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