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表紙

 あの日あの時  13




「私はこれまでいつも、父の言いつけに従ってきたわ。 だから、今度も信じるでしょう。 私が目を泣き腫らして家に帰れば」
「もう二度と会わないって?」
「ええ」
「その油断をついて、君は荷造りをするわけか」
「そうよ。 だからあなたは、ロンドン行きの汽車の時間表を調べて、一枚だけ切符を買っておいてね。 二枚買うと怪しまれるから」
「うん、乗った後でも切符は買える。 それで、汽車の出発時刻はどうやって知らせる?」
 エマは眉を寄せて、少し考えた。
「手紙はいつも早起きの継母が取るの。 私には決まった人からしか来ないから、違うのが混じっていたら変に思われるかも……
 そうだ! ドルメンを計るのに、蝋石で印をつけてたわね。 あれで、うちの裏の石塀に時間を書いて。 あそこには隣りの子供がしょっちゅういたずら書きをしてるから、全然目立たないわ」
「念のために二箇所に書いておくよ」
 ロディの両手が、エマの手をぎゅっと包みこんで、胸に押しあてた。
「たしか明日の夕方と夜に、二本ロンドン行きが通るはずだ。 迎えに行きたいけど、そんなことをしたらばれるから、駅で待ってる。 必ず来てくれ。 必ずだよ!」

 慌しく服を着る間も惜しんで、二人は何度も短いキスを交わした。 そして、ドアを開く前に、しばらく抱き合ったままでいた。
「じゃ、明日」
「どんなことをしても、駅に行くわ」
「後悔はさせない。 二人で幸せになって、許さなかったお父さんを見返してやろう」
 大きくうなずいて、最後に長いキスをして、ようやくエマはドアを開けた。
 とたんに涙が溢れてきた。 驚いて、ロディはハンカチを出して、エマの顔を拭いた。
「どうした?」
 泣きじゃくりながらも、エマはちらっと微笑をひらめせた。
「うそ泣き。 あなたと本当に別れることになったら、と想像しただけで、簡単に泣けるの」
「ああ、エマ」
 もう一度抱きしめようとする腕を逃れて、エマは茶色のハンカチを相手のシャツのポケットに戻し、早足で庭を横切った。 もうにわか雨は止み、黒雲は薄墨色に姿を変えていた。
 門のところで一度だけ振り向くと、ロディが開いたドアの前で見送っていた。 その若々しい顔には、決意を秘めた厳しい表情が刻まれていた。





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