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あの日あの時
8
だが、その夏は普通の夏では終わらなかった。 複雑な権力争いが続き、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれていたバルカン半島で起きた暗殺事件から、みるみるうちに火の手が広がり、主要国は次々と参戦した。
八月十二日、遂にイギリスも、オーストリアに対して宣戦布告を行なった。
新聞の一面に踊る大きな見出しを、エマは胃がよじれる思いで読んだ。
「戦争だなんて……」
「避けて通れない道だったんだよ。 ドイツ人どもが中近東を狙うからいかんのだ」
パイプの皿を外して拭きながら、クリフォードが断言した。 マーゴは落ち着かない風で、テーブルに置いたドイリの位置を直したり、出窓に飾った写真立てを並べ替えたりしていた。
まだ午前中だったが、我慢できなくなって、エマは上着を持って外に出た。 そして、中央通りを南に入ったところにあるバウカー家の離れへと急いだ。
パテを塗ったガラス窓を叩くと、すぐに開いてロディの顔が見えた。
「エマ!」
窓越しに抱き合った後、ロディは急いでドアを開けに行った。
初めて入る室内だった。 古びた箪笥にテーブルと椅子、狭いベッド。 それだけだ。 だがエマにはとても新鮮で、どきどきする空間に思えた。
ひとつしかない椅子にエマを座らせ、ロディはココアの缶を抱えてきょろきょろした。
「ええと、予備のカップは……」
「いいのよ、気を遣わないで、ここに座って」
引き寄せてベッドに腰かけさせると、エマは口早に用件に入った。
「ロディ、今日の午後うちに来られない?」
小さな部屋に、緊張が張りつめた。
ロディは膝で両手を組み合わせ、指先をしばらく見つめていた。 それから決心をつけて、しっかりとした表情になった。
「行くよ。 お父さんはご在宅かい?」
「ええ、今日は一日中うちにいるはずよ」
ロディの腕が伸び、エマの肘に触れた。 そのまま彼は体をずらして、背後からエマに腕を回した。
「うまく行くことを祈ってくれ」
「ええ、二人の将来がかかっているんですもの。 心から祈るわ」
「年収四百ポンドの事務員に、君を望む権利があるかなあ」
エマは上体を回して、ロディに激しく頬ずりした。
「私は節約するし、あなたの収入も増えていくわ。 それより怖いのは戦争よ。 すぐ終わるとは思うけど、万一長引いて、あなたまで兵隊に行くようなことになったら」
「大丈夫だと思うよ。 でも口実にはなる。 こんなときだから、早く結婚したいと言える」
「ええ、ええ!」
エマの真剣な顔を両手で挟んで、ロディは限りなく優しい口調で呟いた。
「大切な君のために、勇気を出すよ」
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